相変わらず原稿書いています。あと少し!

 

これはよく僕が慕っている名越康文先生が言っていることなのですが

 

「ピークを作らないこと」

 

という話があるのです。この話がすごく好きで、そして個人的にも「ピークを作らない意識」ってけっこう持っています。

 

ピークを作らないってどういうことかと言うと、これは誰かから聞いた話だから事実としてあるかどうかは確証が持てないのですが、オリンピック選手とかそういうアスリートの方が肉体的なトレーニングと同じようにメンタルの先生がついてメンタルトレーニングをするのがもう常識の時代になっているじゃないですか。そこで、ここから先が聞いた話なのですが、オリンピック本番で金メダルを取る可能性がある人にメンタルコーチが言うことがあるみたいなのです。それは

 

「金メダルの表彰台に上がるまでに何でも良いから次の目標を決めておけ」

 

と。

 

もし、無防備のまま今までやってきたことが報われて、客観的にも「世界一」という称号を手に入れ、そこで金メダルを掲げて「やったー!」ってガッツポーズをしたら、その後激しい燃え尽き症候群になる可能性があるみたいなのです。つまり、人生のひとつのピークを無防備で迎えてはいけないということなんですね。

 

「一般の人には関係ないんじゃないですか? そんなに多くの人がピークを迎えることなんてないわけだし」

 

という意見があるかも知れません。でも、それこそ一般人である僕らも自分で気づかないうちに「ピーク」にこだわっていることって多分あるはずなのです。「なんか知らないけど24歳の時すごくモテた」とかですね。一気に金メダルの話からグレードダウンしました。笑

 

ただ、やっぱりなんとなくこれまで生きてきて思うのが、会ってきたすごい人って、上手くいった話を「運が良かっただけ」って結構きっぱりおっしゃるんですよね。逆に、上手くいかなかったことは「自分に責任がある」ってハッキリと自分の非を認める。

 

この辺の話がやっぱり僕はすごく興味があって、人間って「わかった」とか「そういうことだったんだ」とか、そういう意味に帰着してしまった時って、もうそれ以上の探求心を無くしてしまう気がします。そういう状態になった人の顔色って、どこかで怖い話、人生に対する「飽き」の表情が出てきてしまう。その「ピーク」って、幸福なものでも、もしくは不運のピークであっても、「ピーク」と認識してしまうとなんとなく生きていくか動力って落ちる感じがするのです。

 

個人的な話で恐縮なのですが、僕自身が一回偶然にピークを迎えてしまったことがあって、それは大学院に合格して、なんかプライベートではけっこう自虐不幸キャラだったのですが、その時にプライベートでも一気に「幸せ」のピークがやってきてしまったのです。そのピークを捨てるためにインドに行ってきたことがあったし、その後何年も「あれがピークじゃないよあんた」って、“あれ絶頂じゃないよ”ということは自分に言い聞かせました。偶然手に入ってしまったピークってやっぱりすごく怖いものだと思ったし、あれを経験しておいて良かったというのは今でも胸に染みています。

 

強引に終わりにしたいのですが、なんかこう、自分の状況がどうあれ「運が良いこと」を見つけられている人ってなんとなく幸せそうだなって思いました。とりあえず終わり。