昨日Twitterを見ていたら #乗っちゃいけないおっさんの口車100 というのがけっこう多く流れていて、すごく面白く読んでいました。僕もおっさんなので正座して読ませて頂いた箇所もありました。

 

興味がありましたらそのタグで検索してみて頂きたいのですが、要は、おじさんがなんだかんだ若い人(主に女性)の理解者であるふりをして、やさしく諭したり、またはかなり上から目線で説教をしたりしながら、その後ホテルにしけこもうとする口説き文句が抜粋されていたのです。ゲラゲラ笑えるのもあるし、後少しで性被害につながるような笑えないものもかなりありました。

 

それで、なんとなくこの「モヤッ」とした違和感って、たとえば自分がすごく疲れていたり、追い詰められたりしている時に「相談に乗るよ!」と目上の人に声を掛けて頂いて、「ありがたい」と思って駆けつけてみるとその人の人生訓や自慢話、もしくは苦労話をひたすら終電近くまで聞かされたとか、そういう「モヤッ」とも関係するのかなと思いました。

 

「理解者であるふりをして、結局はなんらかのその人が抱える私的な目的を果たそうとする」

 

という“フェアじゃない振る舞い”に対してモヤッとするんじゃないか。

 

だから、#乗っちゃいけないおっさんの口車100 でも、ある方が「この後どうしても君をホテルにしけこみたいんだ」って、そうやってストレートに言ってもらった方が全然スッキリするみたいなことを言っていて、それだったら「あ、無理です」とか、もしかしたら「OKです」って返事もできて、何か「味方」であるふりをされると、相手からの要求って断るのが申し訳なく感じさせる空気を少し発生させるから、それがもう「モヤッ」に結びつく。

 

僕自身はこのハッシュタグに「おじさんが抱える寂しさ」もすごく感じてしまって、その「寂しさ」ってもっと建設的な形で発散できたら、もっと世代を超えて仲良くできることもあるんじゃないかって思ったことはあったのですが、それはまた長くなるので省略します。

 

最後に感想なのですが、僕はいわゆる人から相談を受けるというのが仕事になっているところがあって、「相談を受ける」、もしくは「何らかのアドバイスを伝える」ということにものすごい“恐さ”を毎回感じています。

 

それはなんの恐さかと言うと、相手が自分のことを仕事の上とはいえ頼ってきたり、何か相談事をしたいという場面は、容易にハラスメントを生み出す土壌になるからです。

 

だから、仕事でもプライベートでも、相談事を引き受ける時はその前提として

 

「自分は目の前の人に上手く答えられる自信がない」

 

という“自信の無さ”をスタート地点に持っています。

 

そこに「自信がある」と、「いいから俺の話を聞けよ」とか「この人を導いてあげなきゃ」とか「この人は俺の言うことを聞けば良い」という、はい、ハラスメントですね。「相手の人格や人生の背景をまったく考慮しないで、俺が言うことをやれば良い」という強制力を加えようとする力が働くからです。

 

最後に、「自分がビックリするような、厚顔無恥な相手からの要求」をされた時、いわゆる「え、この人ちょっとおかしいんじゃないか?」っていう要求をしてくる人が根っこで抱えているものって、多くが「寂しさ」であることが多いです。だから「あー、この人は寂しいんだな」とまずそこを前提にして冷静に対処してください。激しい怒りも、「え、何それ? 」という要求も、その背景にあるものって多くが寂しさです。

 

けっこうその辺の解説が名越先生の新刊の『生きるのがふっと楽になる13のことば』(朝日新聞出版)に多く書かれていて面白かったです。