ちょっと今日はこういう話を聞いていただきたいのですが、昔ちょっと働き過ぎていた時に健康をちょっと害したことがあったのです。まぁ別にどこかが病気になったというわけではなくて、疲労が取れなくて神経がちょっと変になった自律神経系の疲れですね。

 

それで、そういうときって「良いところ知ってるよ」って知人からお医者さんとか「健康」について色々やっている人を紹介されたのです。

 

その紹介されたところがまぁもう、申し訳ないんだけどすごく合わなくて(笑) すぐに逃げてきました。

 

これは個人的な経験談なのですが、健康に関するお仕事とか専門知識や専門技術を持っているところって

 

・激しめとゆるめ

 

の先生がいると思っていて、僕は個人的には後者の「ゆるい方」のタイプが腕が良い人が多いし、けっこう長く付き合っていける人だと感じています。

 

ゆるい方の先生って「あー、今日も悪いっすね。ハッハッハ」って笑ってくれるんです。今行っている三軒茶屋のカラダファクトリーと、池袋のえびす整体はもう本当にそんな感じなのです。ゆるい。笑 

 

多少の不健康であることはもう働き過ぎとかそういうことだから「しょうがないっすよ」って許してくれる。

 

「ここまで頑張りましたね。では不健康は私がサポートします」って、不健康を咎めてこないのです。その咎めない空気にどれだけ救われるか。

 

逆に、これは性格とかの相性もあるのですが、健康に関わる方で激しめの方っていわゆる「咎める」空気を持っている気がします。あと、なんとなくその人自身が無表情なのか、不機嫌なのか、それか「自分は色々なことを知っているが、みんなは無知」という、独特の重さも持っている。

 

僕は個人的に気を付けなければいけないと思っているのが、「健康」に関わっている人たちって、患者側とか、「先生、助けてー」って言う方にとっては目の前にいるその人が「良い人」だと信じたいんだけど、「助けて」を受け取る側ももう限界まで疲れを溜めちゃっている人が多かったりもします。だから、余裕の無さから不機嫌側に転化しちゃったりしているパターンもけっこう多い。

 

思い通りにならないことに対して「怒り」とか「不機嫌」で突破してこようとする人たちって、多分若い頃にめちゃくちゃ努力して、気合いによって物事を突破してきたタイプの人に多い気がします。

 

でも、そうやって「優秀」を勝ち取ってきた人たちって、気をつけないと目の前の弱っている人に不機嫌、場合によっては絶望感を押し付けちゃうこともある。

 

なんかこう、自分が歳を取ったからかも知れないけど、「僕バカなんですよね。ハッハッハ」って普段から言っている“隙がある方”の人が、実は実戦でも日常でも長く頼りにできるプロフェッショナルなんじゃないかって思います。

 

もちろん、真剣に、そしてひたむきに頑張っている人たちを批判しているわけではなくて、追い詰められた時こそ経験者は「ゆるさ」が救ってくれるって知っているんじゃないかっていう想いがあって書きました。よくアメリカ映画でピンチの時こそおどけたり、とぼけたりするのはそういう「生き残るために、ゆるさというのは良好な手段」として用いられているんだと勝手に思っています。

 

終わり。