この前ある方のラジオに出させてもらう機会があって、その時に時間が足りなくてお話しできなかったのですが、そのラジオのパーソナリティの方が確か「みんなで入るお風呂が苦手です」ってどこかでおっしゃっていたのです。

 

その話を1時間ぐらいしたかったのですが、一言も触れることができずにそのラジオの回は無事に終了しまして。笑

 

なのでブログで今回はそのお話をしていきたいです。

 

小さい頃に「なぜか知らないけど苦手なものや苦手な行為」ってどの人も多かれ少なかれあったと思うのです。

 

たとえば運動が苦手な人にとってみたら毎年近づいてくる運動会のシーズンにゆううつな気分になることもあっただろうし、文字を読むのにつかえてしまったり、止まったりしちゃう子って、国語の時間に先生に当てられるのがおっくうだったとか、そういうことってもう大人になって忘れていることも含めてけっこうあったりしたんじゃないでしょうか。

 

普通、その弱点に対しては人は努力で克服しようとします。

 

もしくは、それを「笑い」に変えていくっていうのも、子どもにとってけっこう死活問題になるぐらいにデリケートな話になると思うのです。「いや、私走り方変なの。みんな笑って」とか、あえてそれを大げさにやって「笑い」にかえると、その「走り方」はクラスの中で市民権を得られて、いじめられる可能性が少なくなる。

 

それで、完全な個人的な意見なのですが、僕には好きな弱点があって

 

「みんなと一緒にお風呂に入れない」

 

とか、そういう「え、なんで?」と言われるような弱点なのです。

 

けっこうですね、こういう弱点を抱えるのもドキドキすると思うのです。

 

みんなで旅行に行ったり、修学旅行に行ったりして、そのままテンションが上がって「じゃあお風呂入ってご飯食べようか!」って誰かが提案したとします。もうみんなのテンションも上がっています。そうすると「お風呂にみんなで入れない人」ってすごくドキッとするのですね。

 

そういうテンションが上がっている中で「いや、私は・・・」ってなかなか言い出しずらい。風邪パターンは前回の旅行でも使ってしまったとか頭をよぎる。それでみんながお風呂に入っている時間に「スーッ」と部屋からいなくなったりする。

 

それで、何が言いたいかというと、こういう「他人から見たらなんでもないようなことだけど、本人にとってみたら重大な弱点」を抱えている人って、やっぱり傑出(けっしゅつ)する可能性が高い人だなぁと大人になってからつくづく感じるのです。

 

たとえば「みんなでお風呂に一緒に入るのが苦手」という人は、「あの子は他ですごい頑張っているし、いいよ一緒に入らなくて!別行動でいいよ。それにしてもあんなすごい人がみんなと一緒にお風呂に入れないなんてかわいいよね」という、「あなたはそれでいいよ!」と言われる資格を得られるためにやっぱり死にもの狂いの努力をすることが多いのです。

 

もう一度言うと、「周りにとってみたらどうでも良いけど、本人にとったらすごい弱点」を抱えている人って、「その弱点を持っててもいいよ」と他人から居場所を与えてもらうためにすごく他のことで努力をする傾向があります。そして、いつしかその弱点から育った努力によってその人にしかない輝きを持つことにもなる。

 

だから、何か、世の中のけっこうすごい人たちの努力の第一歩って、そういう「人間臭い」エピソードから始まっていることも多かったりするんだよなと改めて思いました。

 

ちなみに修学旅行などの集団行動で「間持ち」しない孤独を愛する少年は、ちまちまこうしてブログを書けることなどに幸せを感じるのです。