先日の話になるのですが、『逃げるは恥だが役に立つ』の筆者である海野つなみ先生とお会いしてきました。
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海野先生とは奇縁で、僕のメガネ師匠である名越康文先生と元々お知り合いで、僕がたまたまTwitterを去年始めたときにしいたけ占いについて海野先生がよくつぶやいていてくれたのです。それで、「あれ、海野先生ってもしかしてメガネ名越先生の知り合いの?」ってなって、それでTBSドラマで『逃げ恥』が始まって、ドラマと原作の両方が好き過ぎて、それで名越先生が「大阪で食事会しよう」と提案してくださって、海野さん、名越先生、そして名越先生と私がお世話になっている福岡県の篠栗町(ささぐりまち)で若杉屋さんというファスティング施設の女将をやっている品川さんと私キノコの4人でご飯を食べてきました。
それで、海野さんってちょっとやっぱり「逃げ恥感』がありました。そんなもん作者なんだから当たり前なんだけど。すごく素敵な方でした。
『逃げ恥』に出てくる登場人物たちって、僕の中での感想が「弱いけど強い(=強情)人たち」だったのです。
たとえば僕はあの漫画のなかでは風見さんがなぜか一番好きで、風見さんってイケメンだけど結婚に対してはじめなんらメリットを感じていない方なんです。それで、ゆりちゃんとかみくりさんとかに結婚について真正面から聞かれるシーンとかあるんですけど、普通だったら
「まぁ、そうですよね」
って言って相手の話にのっかるじゃないですか。でも、風見さんとか逃げ恥の登場人物たちって、「いや、僕はそうは思わないです」って真正面からハッキリ言う。それによって傷ついたことがあったとしても、損することがあったとしても、自分の納得できないことはしないし、物事に対して「ちゃんと理解しよう」とする。時間がかかったとしても、はじめ理解できないことであったとしても「理解したふり」をしてごまかすようなことはしない(←これは本当にすごいし、反省し、見習いたいところであります)。
それが一言で「強情」とも言えるかも知れないし、自分の「価値観」を持っているとも言えるかも知れない。
それで、この日4人で色々な話をして、すごくすごく貴重な時間だったのですが、そのなかでも印象深かったのが「才能とセンス」について話したのです。
そしたら海野さんが
「才能は生まれつきのものがあるかも知れないけど、センスは勉強し続けることができる。ほら、ファッションとかでも勉強をし続けなければセンスって落ちていくでしょう」
って。
それでですね、その発言があまりにも衝撃的過ぎて、ホテルにひとり戻ってからもセンスについて考えてみたのです。
ちょっとここでもうひとつお話を紹介したいのですが、名越先生が何か教育テレビかNHK系の番組に出たときに、「頭の良さって何?」の定義についてこう答えていたのです。
「あれね、頭が良いっていうのはね、たとえば会社の会議とかで『あのー』ってその人が発言した時に、その人に向かって振り向く頭の数が多い人が頭が良い人なんですよ」
って言ったんです。
なんていうセンスなんだと思いました。
「頭が良い」という事象を表すのに「その人に向かって振り向く頭の数」っていう言葉で説明するセンスって考えられない。
そしたら、才能が持って生まれたものに多少は左右されるとするならば、センスって
「多数派や状況に流されず、その人なりに大事だと思っている事柄や価値観を見失わない力」
を指すんじゃないかって思ったのです。
たとえばあるカップルで喧嘩が起きたとして、普段は仲良いんだけどその日に限ってちょっと険悪なムードになり過ぎて「どうしよう」ってなることがあったとします。
その険悪なムードのときにある一言を伝えることによって「あー、この人はやっぱり信じて良い人なんだ」となるか「こういうときに、この人はこういうことを言うんだ」と傷を残すかって、もうまさに計算では測れないセンスじゃないですか。
で、そのときに「センスのある判断」ができるかどうかって、普段どれだけふたりについて向き合ってきたかにやっぱりよると思うのです。いい加減な態度だけで接してきた人は、そういうときには絶対に「センスのある態度や言葉」は言えない。
センスがある発言とか、センスのある言葉って、多分嘘がない発言なり言葉だと思うのです。
自分の本心とか大事にしたいものは、愚直でも、バカでも、損をすることがあっても守り続ける。
そうやって変わらずに「自分にとって大事と思っているもの」から目を逸らさないで生きてきた人が「センスのある言葉とか動作」を出すことができるんじゃないかって改めて思いました。
別にサボることが悪いことではないし、僕なんかも隙があったらサボる側の人間です。
でも、「この分野だけは」ってところでサボッてしまうと、表向きはなんの変化もないかも知れないんだけど、いざというときに「センスのある何か」って絶対に出せなくなるんだろうなぁって感じます。
大人同士で、色々な話ができるって素敵でした。めったにお会いすることができない人たちでしたが、またゆっくり話したいと思いました。おしまい。