!タイトルは忘れてしまったのですが内田樹さんが本の中で村上龍さんのインタビューのエピソードを載せておられて、本を書き上げた村上龍さんにインタビュアーが「この小説で、あなたは何が言いたかったのですか」というようなことを聞かれて「そんなものがわかっていたらはじめから小説なんて書かない」みたいなことを答えたみたいなんですね。

 

僕はこのエピソードが大好きで、この件に関してはまた別の機会で書いていきたいのですが、

 

「何かよくわからない衝動が起きて、その衝動はどうしてもやらなければいけない気持ちになる」

 

感覚を持ち、そして

 

「どうしてそんなことをしようと思ったの?」

 

と聞かれて、一番上手く答えられないのが魚座だと思ったのです。

 

魚座の世界って

 

「思わず言ってしまった」

 

「思わずやってしまった」

 

という感覚がすごく強いのです。何か知らない間にアドレナリンが溜まっていき、それをあるタイミングで一気に放出する感覚。

 

そして、僕は魚座という人たちを考える時に、音楽プレーヤーのシャッフル機能をすごくイメージします。

 

魚座の人の心の中には今までいっぱい聴いてきた音楽、いっぱい感動してきたこと、いっぱい大切にしてきたこと。それだけではなくて辛かったことも今頑張っていることも、そういうのが内包されていて、何かの刺激が加わった時に「それでは聞いてください。次の曲は〇〇です」と音が鳴りだす。

 

だから、魚座の人ってやっぱり音と共にある方が良くて、週の初めか週末に音楽リストを作って「それをシャッフルで聴いてると」調子が保てます。魚座ってたとえば「すごく楽しい時」に、すごく心に響くバラードを聴くとより調子が良くなるというようなすごいミックス性があるのです。

 

~インプットとアウトプットが独特~

 

だから魚座って、インプットとアウトプットがすっごく独自なんです。

 

「古い17世紀の美術作品を見て、最新の技術を考えつく」

 

とか、そんなのざらです。だから、魚座の人って「この本を読んで、こういうことを学びましょう」っていう、「誰かが勝手に決めた」強制的な方向付けってやっぱりすっごく苦手。耐えられない。善と悪も他人に決められたくない。破壊!破裂!カタルシス!とかけっこう好き。スプラッター映画とか悪役が魅力的な作品とかも好きなのです。

 

別に悪が良いとかそんなことは思っていないんです。そうじゃなくて、自分以外の誰かが「善とはこういうことで、悪とはこういうことだ」と勝手に方向付けをされてしまうのが嫌なんです。でも、魚座は人が良いところがあるから「わかりました」って一応は従います。でも、そこに集中していなかったり、かなりボーッとしてたら「お前の意見には納得できない」という証拠です。

 

押し付けられるのがとにかく嫌い。だからロック性とかパンク性があります。「この歳になったからこういうことをしなければいけない」なんて絶対やんなくて良いです(笑) 魚座のインプットとか、触れる世界って「とにかく雑食性」が良いのです。六本木に行った後に急に田舎にこもりたくなるなんて、魚座の世界では常識です。「両方の極端をちゃんと味わい尽くす」。そこに魚座が有す美学があります。

 

~話しは途中でさえぎらないで~

 

魚座の人のお話って、そういう意味でさえぎらない方が良いです。一曲が終わるまではちゃんと聞く。これは射手座もそう。彼ら・彼女らはなんらかのインスピレーションを感じて「それでは爆音で聴いてください。次の曲は〇〇です! 」ってシャウトしたり、三味線を弾きだしたりするわけだから、そこに“常識”なんか持ちだして「いや、そんなことはあなたしか言ってないよ」なんて野暮なことはいっちゃいけない。とりあえず「面白い! 」という反応で。「まぁ、でも」って言うのはその後。

 

例:魚座の子供「もう学校飽きた。行きたくない」→「面白い! 」という反応ですね。

 

本当は魚座の愛の受け取り方(および射手座の愛の受け取り方とかも。もちろん他の12星座も)を書きたかったのですが、ちょっとこれから出かけなければいけなくて(えー!)、また今度でお許しください。ゆっくりBlogなど「またこの人こんなこと書いている」って気長に楽しんでもらえましたら。