今回は前からお伝えしていた「魚座と射手座のアーティスト性」について書いていきたいです。

 

まず、魚座と射手座という人たちの共通項目って何なのかっていうと

 

・魚座と射手座は、常になんらかの孤独を抱えている人たちである

 

と定義ができます。別の言い方をすると、この二つの星座の人たちってどこか「私は私で好きにやるぜ」っていう一匹狼性があるでしょう。そして、多分ここで「先生、人は誰しも孤独を抱えているものなんじゃないでしょうか? 人は、そういう生き物なんじゃないでしょうか」(山田金太郎、15歳、思春期)っていう質問がまずくると思うのです。はい、その通りなんですよ。でも、この二者の孤独ってちょっと違うのです。

 

人が生きていくために、自分のエネルギーをどこに一番かけていくかっていうと、やっぱりそれは「人に合わせる」ということだと思うのです。学校のクラスで「好きな食べ物は何? 」って聞かれて、みんな「カレー!」とか「ラーメン!」と答えているのに、ひとりだけ「今の僕は鉄道模型のことしか考えられないのさ」って言ったら、ちょっと集団から外れるでしょう。「集団の輪の中にいる」って、それだけ労力がかかってしまうものだし、自分の個性を遠慮しないで100%出していたら、やっぱりどこか集団からは外れざるを得ない。

 

でも、この「好きな食べ物は何?」と聞かれて「電気コード!」とか「鉄道模型!」とか「それは、うーん、今は私自身かな。私がこの世に生まれて何をしていく人間なのか。私はそれを見てみたい」と答えちゃうふたつの星座があります。はい、魚座と射手座の方は嫌な予感がしてきましたね。そうです。あなたたちなんです(笑) ←こういうのを書かれて「しいたけコノヤロー」と思う人の方が常識的な反応です。まず謝っておきます。すみません。

 ちなみに射手座はそういう質問をされても「つうかさ、サッカーしない?」と今自分がハマってるものをやりだして、魚座はそこに応答しないでサッカーを始めたりします。

なんかね、魚座と射手座は聞かれたことに対して、そして、自分に向けられた問いかけに対して、自分の世界を勝手に作っていってしまう人たちなのです。つまり、正確に応答することを目的とせずに

 

「そこから刺激を受けて、自分が揺さぶられて、何か自分の世界観を創り上げていく」

 

という稀な人たちなのです。もちろん、業務とかで「聞かれたことに正確に応答する」はやれますし、そこはかなり鋭いです。念のため。

 

魚座と射手座の人生のイニシエーション、これは「大人になっていくための儀式」みたいなものですね、そのイニシエーションの中で「みんなに合わせるのって面倒くさいから私は私でいいや」という体験をします。もちろん、そこまで振り切れないでしんどいって思っている魚座と射手座の人はたくさんいらっしゃると思います。あとですね、「別にそこまで変わってなくてもいい」と思って穏やかに集団の中にいて合わせながら、まあまあ自由にやっている魚座と射手座ももちろんいます。

 

でも、射手座は「ある程度の孤独」(=自分は自分で生きていく)を燃料にして、みんなに合わせることに自分のエネルギーを使い過ぎず、「理想」を作っていくためにエネルギーを使います。

 

そして魚座も「孤独」を燃料にして、みんなに合わせることに自分のエネルギーを使い過ぎず、「自分が大好きな人達が愛せるコミュニティ」を作っていくためにエネルギーを使っていきます。

 

ここにですね、微妙だけど大きな違いがあるのですよ。

 

射手座って、旅の人です。極端な話、「自分の人生の中で、本当に命を賭けても良いと思えるぐらいに大好きなものに出合ったら、その大好きなものを自分の理想とできるのならば、テメエの命なんていくらでもくれてやるぜ」というちょっとべらんめぇ口調の攻撃的なロマンがあります。


「自分が美しいと思える世界と一体化して、そこにたどり着けるのならば、俺はどうなっても構わない。人生は長く生きれば価値があるってもんじゃない」って思ったりします。こういうところはちょっと牡牛座なんかも似てるんですよね。「美しい思うレベルに自分がなって、そこにたどり着いて、徹底的にその官能性を味わいたい。ペロペロペロ」っていう願望。牡牛座の方が大好きな美しいものに出合ったら、ある程度ずっとペロペロしてます。

 

そして、魚座に関しては「自分が大好きな人達が愛せるコミュニティ」を自分で作るだから、イメージとしては「ひとりで村おこしを始める人」なんです。

 

だから、射手座の人については、誰も「追いつけないところ」があるでしょう? ずっと理想を追っているから。でも、魚座って「みんなと一緒にいる」ところがあるんです。「あ、きてきてー。小屋作ってここに絵を飾ったよー」という平和性があるのです。でもその飾った絵がすごいグロテスクとか、幾何学模様だったり、何を訴えているのかよくわからないところがあるのです。それが魚座にみんなが引き寄せられる理由なんです。「よくわからない」。常識的に見えるところはあるけど、決して淡泊な人たちじゃない。すごく欲深く自分の世界を追っている。でも美しいっていう謎という魅力。とにかくパワーがあるんです。

 

そして魚座はみんなのことを愛しているのに、どこか一匹狼性があるミステリーがあります。僕はそれが魚座の魅力だと思っています。

 

芸術家とかアーティストって、イメージなんだけどそんなにたくさんの友達がいるわけじゃないじゃないですか。「ずっとみんなで仲良く」っていうわけじゃなくて、自分の人生の中でどれだけ瞬間瞬間輝けるかじゃないですか。

 

「みんなと仲良くじゃなくて、自分の限界を超えていきたい。ごめん、今は自分の理想とか自分が作っていきたい世界しか愛せない」

 

っていう傲慢さとか、エゴイスティックな夢の追求が、アーティストと呼ばれる人たちの最大の魅力であり説得力なのです。「ごめん。俺は君を愛せない。今の俺は自分の夢しか追えない」って言われたら「いいのよ!あんたはそれで!」って答えてしまう人って一定数必ずいるものだから。その人だけではなく、魚座や射手座が持つ夢って、その世界にみんな引き寄せられてしまう独特のパワーがどうしてもあるのです。

 

だから、魚座と射手座って、その「孤独」、つまり「じゃあ自分が命懸けで表現をしていく以外に、どうやって人とわかり合うのか。一緒にいるのか。私は自分の実現していきたい世界以外で、人との愛を望んで良いのか」っていう問題が出てくると思うのです。それはまた違う機会に書きますね。いや、書けないって(笑)そんな深い話一気に。

 

次回、魚座が持つ世界観についてパート②として続けて説明していきたいと思います。