※ 長いのでお時間がある方は暇つぶしに読んでいただくと幸いです


昨日のレタスの悪口は言ってはいけないの記事へのコメントなど本当にありがとうございます。

 

皆さまからの反応を見ていてすごく面白かったのが、人間関係の中で「モヤッ」とさせられることってすごくたくさんあるだろうし、逆に、多分自分でも気づかないうちに相手を「モヤッ」とさせていることもたくさんあるんだろうなと改めて思ったのです。

 

だってね、「あなたのことAさんはこう言ってたわよ」って言うことって、本人に悪意がなくて、本当にそれってやさしさで言ってる場合もけっこうあるだろうから。それはやさしさの使い方が間違っちゃっているやさしさですね。

 

だから、「もしかしたら私けっこうモヤッとさせているかも知れない」と思われた方、あんまり反省し過ぎないでください(笑) 多分誰でもその「痛い」道のりって歩んできてるから。

 

それでですね、この「モヤッ」とする・させられるという感覚ってものすごく興味深いんですよ。

 

たとえばの話なんですけど、僕は今この記事をパソコンで書いているんです。そこで僕の心の中で「人間関係の中でモヤッとさせた人を懲らしめてやろう」という気持ちがあったら、多分僕は今この記事を書いてて妙に気持ち良くなると思うのです。「鈍感で気づいていない人にわからせてやるよ」っていう制裁を誰かに加えようとしているわけだから。でも、その「身体が興奮して気持ち良くなってきている」という熱さって、気持ち良い熱さじゃなくて「怒り」による熱さだから妙な興奮感覚を覚えるはずなんですよね。その「興奮感覚の違い」って、瞑想とかヨガとか、山歩きとか、呼吸法とか、身体を動かすことであったりだとか、そういうことをやっていう人はその違いって多分熟知していくと思うのです。

 

話を戻して、そうやって「変に、ネガティブな方向で身体の温度が上がったり、興奮状態で書いたり、言ったりしているもの」って見る側をかなり「モヤッ」とさせます。

 

それはですね、どうしてかというと

 

「モヤッとする」というものの正体って、僕は知性とかロジックで感じるものではなくて、なんとなく「動物的な、本能的な感覚」で感じとるものだと思うからなのです。

 

あれ、ちょっと話が脱線しちゃうのですが、昨日美容院に行ったんですよ。カキモトアームズ自由が丘店。このお店のことも今度書きたいのですが(良い美容室が人に何をもたらすのか)、そこでいっつもシャンプーしてもらっている時とかにテキトーな話をするんですね。

 

それで昨日シャンプーをしてくれた女の子と話していたんだけど、「今どこ住んでるの問題」が出たのです。ほら、日常会話の中で「どこに住んでるの? 」と言われた時に、全然「あ、今〇〇なんですよ」と住んでいる場所を自然に答えられる人と、ちょっと「うっ」となる人っているじゃないですか。僕もその子も接客業で、お互いに「どこ住んでるんですか」とか聞いたり聞かれたり、どこまでプライベートに質問するかってすごく気をつかいますよねって話をしたのです。


 

「今どこ住んでいるんですか? 」って日常会話で聞かれることってよくあります。それって、聞く側にとっては全然他意とか悪意ではなくて、「あー、そこならあの店ありましたよね。昔よく行ってたなー」とか、かなり会話の呼び水になってくれるから、誰でもよく聞きますよね。「今どこ住んでるの?」って。

 

でも、そういう「自分の住処を知られ」ようとしている時って、本能的に警戒してしまう雰囲気の人ってやっぱりいるはずなんです。「なんかよくわからないけど、あんまりこの人には自分のプライベートでのエリアを知られたくない」って思ってしまう時って、「うっ」とか「モヤッ」とする。

 

その、「うっ」とか「モヤッ」とする感覚って、相手になんらかの「コントロール性」を感じとったからだと思うのです。それか、何か過去に自分が自宅とか今住んでいる場所に誰か変な人に無断で来られてしまったとか、そういう軽いトラウマがある場合にも「うっ」て多分なりますよね。

 

「今どこ住んでるの? 」って相手に聞くその人の空気の中に、なんらかの会話の誘導が見えたり、こっちのことを適切な範囲を超えて「探ろう」としている空気って、やっぱりそういう空気って相手に伝わるのです。

 

もうすぐこの記事は終わるので、あともう少しだけ話に付き合ってもらいたいのですが、人が人になぜ質問をするのか、会話をするのか、そして自分のことを「わかってもらいたい」と思うのか。そんなのはみんな人が寂しさを本質的に抱えているからだと思うのです。そして、この「寂しい」っていう感情って本当に強大です。

 

「いや、自分はそんなに今寂しくないっすよ」と答える方も、たとえば会社とかで会議があったとして、いつも自分に意見を求められないで、自分の隣にいる山田さんに「じゃあ山田さんはどう思う? 」って聞かれ続けたらどう思います?多分本当にそこに「いる」のが辛くなっていくじゃないですか。

 

自分が今そこに「いた」としても、相手の心の中に自分が「いない」と、人って「いない」と同じになってしまう。だから人って本質的に「寂しい」という部分があるはずだし、寂しいからこそ、相手の心の中に自分を残そうと必死な努力もする。

 

自分という人間をどう認知してもらって、どう、なるべく上手く人と上手く関係を続けていくか。

 

これしか大事なことってないぐらいに適度に「いる」って大事な問題だと思います。

 

これはだからここでは簡単に「こうすれば良いです」なんて答えられない。

 

話がどんどん拡がっていってしまうのでもうこの辺で締めたいのですが、人間関係を上手くやっていくために、人間関係の中で適切な居場所を見つけるために、僕たちは仕事とか、プライベートとか、色々な関係の中で傷ついて、挫折して、学んで、成長していくのだと思います。

 

話がまとまっていなくてすみませんが、今回は以上で。