これは僕の友人から先日に直接聞いた話なのですが、ある人に「なんか〇〇さんが陰であなたの悪口言ってたわよ」って言われてなんか「モヤッ」としたんですって。

 

それで、そういう一種の「告げ口」をした人にこう言ったみたいなのです。

 

「私もあの人のことを前から合わないと思っているし、私も誰にでも好かれるような立派な人間じゃないって思っている。だから、別にあの人が私のことを嫌うことはたいした問題じゃなくて、『そのような私の力によってどうしようもできないことをわざわざ私に言ってきて、私の生活を乱そうとした』あなたの方に、ごめんなさい。見えない悪意を感じるの。だからあなたとは距離をとらせてください。あなたみたいな人が苦手です」

 

って伝えたらしいのです。すごいしびれました。

 

この発言についても、僕がここでこのようなことを書いたことについても、ちょっと抵抗を覚える方もいると思うのです。

 

でも、何かその人が感じた「見えない悪意」って僕なりの解釈ってこういうことだと思うのです。

 

「頼まれてもいないのに、その人の生活の中に暗さを与えようとする人」

 

のことなのです。

 

それこそ、直接「ここが嫌です」って言われるのはしょうがないじゃないですか。むしろ言ってもらって助かることもあるわけだし。少なくとも、対応の仕方は自分で選べるわけだから。無視したり、その指摘によって「自分が間違っている」と思ったら謝ったり、今後は訂正していったり、そういう色々なやり口の選択肢って与えられるじゃないですか。

 

でも、「あの人が言ってた」って、わけわかんないじゃないですか。その拡大バージョンが「みんな言ってる」。嘘だよ、みんなは言ってないよ(笑) そういう、わかんなくて、確かめようがなくて、モヤモヤが残ることってやっぱりあんまり良くない。

 

あれって何なんですかね。なんかですね、レタスとかきゅうりをおいしそうに食べている時に「あんまり栄養ないよ」って言う図式と似てると思うのです。そういうことって、なんとなく人として言っちゃいけないじゃないですか(笑)

 

それを言うなら「あんまり栄養ないみたいだけど、おいしいよね! 」ってフォローが最低限は必要なんです。それを言わないと、言われた方も、そしてレタスもショックを受けて非行に走るのです。

 

「俺、栄養なかったんだ。必要とされてなかったんだ。キャベツには勝てなかったんだ! 」って。

 

そういうレタスに対して無慈悲な行為ってなるべく取るべきじゃないのです。「栄養で君を選んでいるわけじゃない。照り焼きバーガーに君がいないバージョンを考えたことがある? レタスのシャキシャキがない照り焼きバーガーなんて地獄の食べ物だよ。だから僕は君のことが大好きなんだよ。そうだよね食物繊維君」。食物繊維君:「大腸にとって君は必要なんだ」(以下略)

 

知識や情報通という武器は、容易に人を傷つける武器になります。無慈悲に、救いを断ってしまう凶器になります。だから、どれだけ知恵を操れるかとか、どれだけ鋭いことを言えるかではなくて「どこまで言うべきで、どこまでは言うべきでないか」って、その場で色々なことを思い測るのが「品」なのだと思うし、知識よりも品の方が大事だと個人的には考えています。

 

本当にぶつかり合わなければいけない関係性や場面ならともかく「自分がそれを言うことでその人の存在を祝福できるのか、それともその人の一日にモヤモヤを残すのか」。それってやっぱりすごく大事な問題だと思うのです。モヤモヤを残す行為って祝福ではなく呪いなのです。

 

「モヤッ」とはなるべく相手に残しちゃいけないって思います。その日のうちに解決するか、フォローを入れておいた方が良いです。非行に走るレタスを我々は作ってはならないのです。終わり。