最近星座別の文章を書いていて、そしてそのコメント欄やTwitterなでを拝見して気になったことがあって、それは自分のことを「イヤな奴ですよね。すみません」と自己評価している人が思ったよりも多いことなのです。

 

で、直感的に思ったのですが、この台詞ってあんまり言わない方が良いと思います。余計なお世話なのですが。

 

本当に自分のことが「イヤなやつ」って思っていたとしても、それに気をつかって「すみません」って言ってしまうと自分を否定することになっちゃうから。そういう謙遜じゃなくて、もはや自己否定ってけっこう癖になります。

 

もちろん、僕なんかもたまにギャグで言います。「いやー、クソ野郎なんですよ」って。それはすっごい、自分が大好きっていう前提を踏まえた上なんです。

 

イヤなやつなんですよね。ハッハッハ

 

って思っていた方が良いと思います。

 

それで、本当にイヤな人って自分のことを「良い人」だと思っています。

 

そして、自分のことを良い人と思っている人の方が恐いですよ。

 

自分のことを良い人と思っている人って、人を正す権利が自分にはあると思ってしまっているから。

 

自分が生きてきて、自分にはすっごい面倒くさいところがあるとか、すっごい嫌なところがあるっていう自覚を持っている人の方がその「狂気」とか「凶器」を自制できるんです。

 

たとえば、分析癖が強過ぎて、それで失敗をしてきた人って

 

「あ、これ以上相手の弱点を指摘すると、もう自分も相手も救われなくなる」

 

っていう、レッドゾーン(危険地帯)に入る前にブレーキを踏めるんです。

 

人の面白さは「凶器」です。毒の部分もあります。毒が強すぎると本当に人を傷つける。だけど、じゃあその毒を全部取り除いていこうとする方が狂気で。

 

ある程度人格的に毒も持ちつつ、バランスを保てている人って

 

「こんな面倒くさい自分がなんとか生きてこられたのも、周りの人におかげだな」

 

って周りに感謝している人だと思います。でも、そういう円満な台詞を言う人って、絶対にその人の若いころに傍若無人のクソヤローな部分があったはずだから、特に10代20代なんて「クソヤロー」をやるのが仕事みたいなところがあるんだから、そんなに従順にならないでください。

 

なんか本当、元クソヤローが一番信頼できる。綺麗で修正をかけてくる頭が良い人って無慈悲なんだよなぁ。

 

乱筆失礼しました。僕はクソヤローを許したいです。ごめんなさい。世の中の善男全女の皆さま。