今日ある方に「金運って何ですかね」って聞かれて、ちょっと面白い話をここでもしたいのです。

 

最近ある方が金運とか運というものについてすごく面白いことをおっしゃっていて、金運とか運が良い人って

 

「もらいっぱなしがない」そうなのです。

 

その人がこれまでお仕事で色々な人と付き合ってきて、それでいわゆる「出世」していく人って、ちょっとしたことを誰かにしてもらった後に必ず「あの時はありがとうございました」とか、何かをもらったらちゃんとその人が喜ぶモノか手間を持ってお返しするということを必ずするそうなんですね。

 

これってすごくわかるのです。

 

もちろんここでですね「お礼」とか「お返ししなきゃいけない」とか、そういうことを親戚のおばちゃんみたいに口うるさく言いたいわけではないんですよ。

 

僕が考える金運って、色々な人に会ってからの経験から言うと

 

滞りを持たないこと

 

だと思います。お金と運って循環なのです。

 

だから、何かをしてもらったときには「自分のところでその流れを滞らせないこと」が大切になるような気がします。

 

感覚的な話で、わかってもらえる人にはわかってもらえると思うのですが

 

もらいっぱなしの人って、なぜかその人の周りの空気が荒(すさ)んでいく

 

ってないですか。

 

ほら、ちょっとした愚痴を聞いてもらうことも「相手の時間をいただく」っていうことで、次に会う時に「あの時ごめんね。色々話聞いてもらってありがとう」と伝える人と、ツーンとそのまんまなかったことにする人って、やっぱり後者には何か荒んだものが出てきてしまう。

 

なんで「もらいっぱなしの人が荒んでいくか」というと、それってやっぱり人って人間関係のなかで生きています。それは本当に残酷なほど、人間関係の中で生きてて、そこからは逃れられない部分があります。

 

それで、もらいっぱなしで、次の人にパスをしない人って、その人間関係の中で「いないこと」になっていってしまうのです。

 

たとえばどんなに身近な人間関係でも、何かを気持ちを込めてやってもらったことに対して「ありがとう」という返礼をしないと、やった立場の人にとってはちょっとその人の存在って薄まるでしょう?「あ、この人は気持ちを向けてくれないんだ」って。

 

やってもらった価値なんて、そこまで正確にわかることなんて少ないし、「やってもらっている」最中って、その価値がどんなものかわからない。でも、後からになってしまっても「あ、こんな労力と気持ちを割いてやってもらってたんだ」と思ったら、その時にお礼を言っても遅くないと思います。もう直接連絡を取り合うことができない相手だったら気持ちで思うだけでも。

 

「ありがとう」を言うのに準備なんていらないのです。その時思いついただけでもいいです。「もう少し立派になってから、自分を誇れるようになってからお礼を言おう」じゃなくて、できればその場で。

 

してもらう人よりも、与えようとしている人の方が強い。

 

これは本当に不思議なのですが、もらってばかりの人はラッキーなようでいてなぜか弱くなっていってしまう。

 

漫画の原作バージョンでの下に引用した台詞はなかったと思うのですが、ドラマ版の『逃げるは恥だが役に立つ』の最終話で社会に対しても、そばにいる誰かに対しても、自分が何をお返しできる人間なのかわからなくなってしまってお風呂に閉じこもってしまったみくりさんに平匡(ひらまさ)さんは言うのです。

 

 

生きていくなんて、面倒くさいんです。それは一人でも、二人でも同じで。それぞれ別の面倒くささがあって、どっちにしても面倒くさいんだったら、一緒にいるのも手なんじゃないでしょうか。話し合ったり、無理な時には時間を置いて、騙し騙しでも、なんとかやっていけないでしょうか。やってやれないことはないんじゃないでしょうか。

 

」(『逃げるは恥だが役に立つ』(原作海野つなみ、TBSドラマ最終話より)

 

役に立つことや、完璧な姿でいてくれることを求めているのではなくて、自分で自分を消してしまう呪いから何度も何度も救ってくれたみくりさんへの、平匡さんの返礼。

 

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