「自分のことは見ないんですか?」と聴かれることがあって、これはいくつかの理由で見ません。
 
・他人の匂いには敏感になられる
 
ひとつは、自分のことってやっぱり見にくいのです。たとえば子どもの頃に友達のお家に遊びに行くことがあって、その時に「家ってこんなに匂いがするんだ」って思ったことないですか?自分の家ってもう「無臭」に感じるぐらいに匂いに対して慣れてしまっているのに、他人の家ってすごく匂いに敏感になります。自分について見られない理由ってこれがすごく大きいのです。他人の匂いになら敏感になることができる。
 
・未来に対して予測がない、期待がない
 
これは僕が一番自分自身に関してはしっくりしていることなのですが、25歳ぐらいから生活の中に「瞑想」を毎日することになったのです。僕がやっている瞑想って本当に自己チェックみたいなもので、そんな毎日深い陶酔状態になったりはしません(笑)
 
・呼吸ができているか
 
だけをチェックします。呼吸って毎日朝にチェックすると面白くて、やっぱり色々な悩みがある時とか、ちゃんと朝に呼吸ができていません。調子が良い時なら7吸えて7吐ける息が3ぐらいしか吸えないし、3ぐらいしか吐けない。
 
調子が良い時と悪い時のバロメーターは完全に瞑想で呼吸ができているかどうかで図っています。
 
そうすると、直接的に「なんで調子が良いか」とか「なんで調子が悪いか」ということにたどり着けようとするのではなくて、呼吸を常に「まぁまぁ調子の良い状態」に近づけさせようとします。
 
調子が良い時って結構同じなのですが、まず身体が軽いのです。頭がスッとさわやかになっている。逆に調子が悪い時って例外なく身体が重いです。足が地面にちゃんとついていないし、頭もジメジメジメジメ色々なことを考えます。
 
だから、その「悩み事を解決しよう」とするのではなくて、3しか吸って吐けていない呼吸を5ぐらいまでに戻すことをします。それでもダメな場合は「まぁ、もう今日は3でいいや。こういう日もあるからせめてここから落とさないようにしよう」とやっています。
 
僕が自分自身について見ないというのは、もうなんかこういう「呼吸」がベースになっちゃったからです。「調子がまぁまぁ良いか」「調子がまぁまぁ悪いか」だけしか把握しません。できればそれをどっちかに偏るのではなくてニュートラルに近づけさせたいです。
 
呼吸が調子が良い時、つまり身体と頭が調子が良い時というのは勝手に自分が良い発言をしたりするのです。そして良い出会いとかに勝手に敏感になる。
 
調子が悪い時はとにかく無理をしません。「こういう時もあるよな」と思って諦めます。そして落とさないようにします。調子が悪い時に私のlineがよく既読スルーになったりするのですが、「あの人は今調子悪いんだ」と周囲の方々に甘えて諦めてもらっています。
 
なんかこう、年を取ってから「生きる」ということがすごく面白くなってきて、20代のころのように「力づく」で何とかしようという考えがなくなりました。海を船が漂っている感じで、左に進路が進んでいる時に無理に右に避けようとしても船は回転して思うようにならないことがあります。
 
その「ままならない」という自然な状態を生きるために必要なことって、
 
「考えるべき時は考える。でも、必要以上には考えない。身体の感覚に任せる」
 
ということを(勝手に)大切にしています。
 
駄文失礼しました。