このブログは自分のなかで「ひとりラジオ」と位置付けているので、たまに自由勝手にしゃべらせてください(笑)

 

僕は多分この先も顔出しはしないのですが、自分が占いというものを提供するにあたって「こういうことを考えている人間が書いていますよ」ってなるべく僕という人間の内容がわかってもらえる距離にいたいのです。だから自分のことはけっこうバリアフリーに提供していくので、暇なときに見てくださいませ。

 

今、すごくおかげさまでやらなければいけない仕事の量、そして仕事依頼がとてもすごいことになっています。ただ、やっぱりどうしてもひとりでやっている身なので全然仕事引き受けられません。

 

これからの仕事ということを考えていく上で、ちょっとだけ今日は僕がなんで今のような仕事をするようになったのかというと原点を少しだけ紹介させてくださいませ。

 

あれはまだ僕が20歳の頃、それこそ「命を救ってもらった」というぐらいにお世話になった大学の先生に教授室に呼ばれたのです。「大学院に行ってみないか」って。その時の話もまた今度くわしくお話したいのですが、当時僕の大学での成績は最低で、あと一個単位を落とすと除籍っていうぐらいまでひどかったのです。

 

だから進路課に「卒業後の進路希望」というところで「1位、大学院進学 2位、しいたけ栽培 3位バッティングセンター経営」って書いて出した時に本気で怒られたのです。

 

大学院試験が落ちたら爆死するって決めて、試験勉強をして1浪の末に大学院に進学することができました。

 

大学院って、はっきりいって今まで日陰で生きてきた人間にとって初めて日なた側に行った瞬間だったのです。

 

でも、その大学院に入って卒業した期間って自分の人生の中でも本当に色々なことがあって、両親が離婚し、そして父親が亡くなり、僕自身は「就職」ということに対して全然やりたいことが見つからず、全部就活に落ちて、当時付き合っていた人とも別れたのです

 

で、その時にはじめて「こういう時に人は神社に行くって聞いたことがある」って思い出したんですね。それまで、どちらかというと「神頼み」みたいな考え方が嫌いに感じられてしまって、そういう場所に近づこうとも思わなかったのです。

 

仲の良い後輩に車を出してもらって、「どうせだから」という理由で島根県の出雲にいきました。東京から車で。ケツが割れました。

 

25歳。何を願うかとかまったく決めていないままに神社という場所に自分の意思ではじめていって、それで目をつぶって無心になって「自分が何を願うか」って感じてみました。そしたら「ありがとう」だったんです。

 

「こんな何もない人間に色々な出来事を経験させてくれてありがとうございました。色々な人に可愛がられ、応援もしてもらって、とにかくこれまで過分の人生でした。今の僕に何をやりたいとか、どうしても叶えたいというような夢はありません。充分に生き、充分に楽しかった。だから、これからはもう自分を必要としてくれる人に返礼していきたいです。お返しをしていきたいです」

 

その出雲参拝の後にめちゃくちゃく不思議なことが立て続けに起きて、その一年後にはインドに行くことになったのです。

 

まぁその話は置いといて、その時に願ったこと、想ったことって10年ちょっと経ちますがあんまり変わっていないのです。

 

自分の人生は、自分を必要としてくれる人たちへの返礼のために生きています。

 

だから、誰かから巡ってやってきたチャンスというものを、自分のモノにしようとはあんまり考えられないのです。

 

自分に期待してくれ、自分を応援してくれ、自分のこれからを見たいという人の想いに報いるのみ。

 

若い頃って、全然空回りしてばかりでした。期待されれば舞い上がり、調子に乗り、本当に何かを返したい時にはもう目の前に人がいなくなっていました。

 

だから、今はひとつひとつ与えられる機会ってどうしても粗末にできない特別なものなのです。

 

失うものがあれば得るものは必ずあるし、仕事って、自分の一番大切にしているものを表現するひとつの場所に過ぎないって思っています。でも、その「場所」というのは自分ひとりで作り上げたものじゃない。誰かに頼まれ、用意してもらった大切な、大切な「場所」なのです。