先日兄の結婚式に参加するために京都に行ってきました。参列者の方々の新郎新婦に対する愛情がとても大きな素敵な式でした。

 

僕は兄を含めて3人兄弟で、先日結婚した兄が長兄で、僕が末弟で、父親が早くに亡くなってしまった我が家にとって兄は父親のような存在でもありました。

 

これは母親から聴いた話なのですが、兄は「自分にもしものことがあったら」と、一時自分に保険を多くかけていたそうです。でも、家族それぞれが無事に独立してそれぞれの道に進んでいった時に、その保険のお金を自分の結婚資金へと回したそうです。そして自分が昔から行きたかった古都・京都に行って今のお嫁さんと知り合い、先日の式の日を迎えました。

 

兄は酒を飲むのがとにかく好きで、一回飲みだすと朝まで飲み、途中トイレで爆睡するなどはよくある光景でした。僕は全然酒が飲めません。そうすると宿命的に酔っぱらった兄(ポンコツ)を家に持って帰らなければいけないという役割を背負ったので、正直兄とお酒を飲みに行くのがそんなに好きではありませんでした。

 

でも、去年ぐらいだったと思うのですが、まだ兄が今のお嫁さんとも知り合っていない頃に「この人と兄弟として、今の環境の中であと何回お酒が飲めるんだろう」とふと感じたことがありました。それからは何回か、兄弟二人だけでお酒を飲みに行きました。

 

「今、当たり前にあると思っていた時間が、いつの間にか過去の時計の針の音に変わる瞬間がある」

 

30数年生きてきて、この瞬間を迎えることがそんなに珍しくなくなりました。

 

昔の自分は、この瞬間を迎えることに寂しさしか感じませんでした。でも、今はその寂しさよりも「一緒の時間を過ごせた尊さ」の方を温かく感じます。

 

過去が戻ってくるものじゃないからこそ、僕は「その人と共の時間を過ごした人間としてふさわしい人」であることを目指します。いつ、その人と再会しても良いように。その人にとっては「昔から変わらない自分」であるために。