前回「出会いについて①」というものを書いて、その中で出会いというのは

 

① 同じ匂いがする者同士が引き合う

②「扉の向こう側」に導いてくれる出会い

 

ということを書いたのですが、今回は②を喋っていきたいです。

 

僕は「出会い」というものは、自分が持っている「なんだかよくわからない“大切な何か”を、それを必要としている人に手渡していくため」にあるんじゃないかと考えています。

 

もちろん、「全ての出会いに意味がある」というような壮大な言葉は、自分の実感が伴っていないから言えません。

 

でも、多くの人にとって

 

「あの人との出会いがなければ今の自分はなかった」

 

という人はいるはずなのです。

 

その人と会ったおかげで、今まで知っていた世界が違うものとして見えた。明日が来るのがこんなに楽しみで、そしてこんなにも不安になったことはなかった。自分のことを誰よりも先に報告したくて、その人のことも誰よりも先に知りたい。一緒に喜び合いたい。

 

でも、時としてその「出会い」にあまりにも必死過ぎてしまったため、その「出会い」を上手く扱いきれなくなる時もあると思うのです。もしくはその「出会い」が一つの区切りを迎える時もあります。

 

でも、僕は色々な人を見てきた、あくまで自分としての感想なのですが、「出会い」って続いていきます。だって、あなたはその人から大事なものを受け取ったのだから。

 

その受け取ったものを大事に持って、たとえあなたに「その大切なもの」を渡してくれた人があなたの側からいなくなったとしても、あなたが渡されたものの中にその人は共にいます。

 

だからあなたは渡されたものの価値を知り、それをまた誰かに渡していかなければいけない。

 

だから、そういう出会いの価値を人生のどこかで知った人は必死なのです。余裕なんてないのです。

 

自分を尽くして人に渡すから。過去に自分がそうしてもらったように。

 

自分を扉の向こうに導いてくれる出会いって、だから少し嬉しい反面、少し寂しいのです。それを知った人の背中とか笑顔って優しいです。温かいです。

 

人が人に対して行える最大の祝福は「あなたに会えて良かった」と本人に伝えることだと思います。