【エコモマイ!ALOHA CAFE】vol.24
メリーモナークの話
ゆめのたね放送局 放送日は4/21㈰11:00~11:30、再放送4/28
4月になり、新生活が始まりましたね!
学生、新社会人 引っ越しして新しい環境で生活する人も多いと思います。
さぁ、4月といえばハワイで毎年開催されるフラの最高峰の大会があります。
ハワイの人たちだけでなく、フラダンサー、世界中のフラファンが待ちに待っているのが
メリー・モナーク・フェスティバルです!
今日はそのメリー・モナーク・フェスティバルのお話をします。
2024年 第61回は、3月31日~ハワイ島ヒロのエディス・カナカオレ・スタジアムで開催されます。
ハワイといえばオアフ島の方が行きやすくて便利で、ヒロってどこ?とマイナーなイメージじゃないですか?
メリモナークフェスティバルがハワイ島の東の町ヒロで行われるようになったのには理由があるんですね。
1960年5月に南米で起こった大地震の影響でヒロを津波が襲い、町は壊滅状態になってしまいました。
3年後、規模は縮小されたものの町は復活し、ヒロに経済効果をもたらそうと観光誘致の為計画されたのがメリー・モナーク・フェスティバルでした。
1964年、第1回が開催され、1971年にフラ競技が加えられました。
ここで触れておきたいのが、ハワイアン・ルネッサンス(ハワイ文化復興運動)のことです
同じころ、ハワイ文化復興運動が1970年代に始まりました。~運動というと固いですが、欧米文化が入ってきて、ハワイアンたちが自分たちのルーツを見直すとか、自らのアイデンティティとは?
ハワイ語、音楽、フラ、ハワイ工芸品、ラウハラ、タパなど 広い分野に広がり
1964年に始まったフラの祭典メリーモナークもこの運動を後押ししました。
ハワイ文化の象徴としてフラが見直され、フラ競技は年々拡大していきました。
第1回の競技に参加したのは9ハーラウでした。今では20以上のハーラウがステージに立ちます。
私は今日カラカウア王の顔写真がプリントされたTシャツを来てきました。
これはメリー・モナークの公式グッズで必ずカラカウア王がモチーフのプリントが入っています。
第7代 国王のディビッド・カラカウアのニックネーム Merrie Monarch=陽気な王様に由来します。
キリスト宣教師によって50年以上禁止されていたフラを復活させたカラカウア王は芸術を愛し、即位式にハワイ伝統の儀式を行い、誕生日の祝宴でもフラを踊らせました。
カラカウア王は「ハワイ古来の文化を大切にしよう」と考え、自身もハワイ語で記した本を書いたり、ハワイ語の歌もたくさん作りました。また、カメハメハ2世時代から禁止されていたフラを解放し、公式の場で発表する機会をたくさん設けました。
「ロイヤル・ハワイアン・バンド」と称して、妹であるリリウオカラニ王女(当時)・リケリケ王女(カイウラニの母)・弟のレレ イオ ホク(タフワフワイの作者として有名)らと共に、サンフラシスコまで演奏旅行にも出かけていて、ハワイ文化の復活のシンボルとされています。
ヒロの復活を願う人々は、このカラカウアに心を寄せました。
そこで、「ヒロの復活」のお祭りメリー・モナークに、「ハワイ文化復活・復興のシンボル」であったカラカウア王を冠したわけです。
ですからメリー・モナークのTシャツや公式グッズには必ずカラカウア王がモチーフのプリントが入っています。
フラを踊る人は全て、このカラカウア王に敬意を示します。
有名なカラカウア王の言葉です。
"Hula is the language of the heart and therefore the heartbeat of the Hawaiian people."
「フラは心の言葉、すなわちハワイ人民の心臓の鼓動そのものなのです。」
ハワイ王国のカイウラニ王女との縁談
もしかしたらハワイと日本は結ばれていたかも?と有名な話がありますね。
カラカウア王は世界一周の旅の際に日本へも立ち寄り明治天皇にも謁見しています。
1885年(明治18年)カラカウア国王は、赤坂離宮で明治天皇と会談した際にいくつかの提案をしました。
その一つが姪のカイウラニ王女(当時5歳)と依仁親王(当時13歳)との縁談でした。
縁談は実現はしませんでしたが、移民調査の目的もあったカラカウア王の申し出を受け
来日から4年後1885年に日本からの官約移民が開始されました。
メリー・モナークってどんな大会なの?
この時期はハワイ島のヒロが一年で1番にぎやかになります。
お祭りの1週間は各地でクラフトフェアをやっていたり、パレードがあったりします。
現地に宿泊したときに、新聞やテレビを見ることがあり、大会前にミスアロハのインタビューが流れていたり新聞もメリモナークの特集や、キレイな写真が載っていました。
大会では始めにロイヤルコートとして入場セレモニーをします。
王族(カラカウアとカピオラニ)が入場して、王様の椅子に座ります
これは一般市民が王族役に選ばれた人です
ハワイ王国国歌「Hawai`i Pono’ī」をみんなで歌います。王族は毎晩、会場に出席します。
競技
メリーモナークではフラの種類はアウアナ、カヒコの2種類のフラ競技が見られます。
フラカヒコと呼ばれる古典フラです。
チャント(詠唱)とひょうたんで作られたイプヘケや木から作られたパフドラムなどの楽器に合わせて踊ります。
カヒコはハワイの神々を讃えたりするチャントも多く、とても神聖な踊りです。
フラの起源はカヒコにあり、文字を持たなかったハワイアンに代々受け継がれていました。
カヒコには、オリ(詠唱、踊りはなし)
カイ(入場の踊り)
メレ(演舞曲)
ホイ(退場の踊り)があり、メリーモナークを始めフラの競技会で見ることが出来ます。
一般的にはあまり目にすることはありません。
ミス アロハ フラ
ミスハワイとは異なります。ミスコンではありません
出場資格は、年齢が18歳〜25歳 ソロダンサーです
毎年10人前後が出場し、最初にカヒコ(古典)、続いてアウアナ(モダン)を踊ります。
当日中に審査が行われ カヒコ、アウアナの総合最高点のダンサーが、ミス・アロハ・フラに選ばれます。
持ち時間は7分です。
アウアナは生演奏の歌と音楽に合わせ、カイ(入場の踊り)、メレ(演舞曲)、ホイ(退場の踊り)と3つのパートを踊ります。
アウアナ競技後、審査、授賞式が行われ、部門ごとの入賞グループが発表されます。
審査は踊りだけでなく、衣装やレイ、ハワイ語(カヒコのオリ)なども含まれます。
フラのハンドモーションは手話のように歌詞の意味、物語を伝えていますので曲の表現など様々な観点から審査されます。
当日の出来の良しあしだけでなく、事前のレポート提出などもあるそうです
あとは、自作の楽器をつくると評価されるとか。
メリーモナークのチケットは入手困難で有名です。
またチケットだけでなくメリーモナーク期間はヒロの宿泊施設を探すのも大変です。
一年以上前から、ヒロ周辺のホテルは空きがないこともあります
わたしのメリモ体験談
初めて憧れのメリモナークに行ってみよう!となり、宿をとるのに苦労しました。
東京にいるときにTELをしてB&Bを探しました
滞在は10日ほど
バタフライイン というB&B
泊るところがないので HILOから離れたところの、しかも事務所でよければ、と言われて宿を取りました。
そういう人も多くて反対側のコナに泊る人もいるくらいです。
出演するハラウは資金作りのファンドレイジングをしたり
衣装を作ったり、レイを編んだり
キラウエア火山にいった時にフラの格好をしたグループがいました。
ハーラウの人たちがきて、レイか何かを捧げていました。火山の女神ペレがいますね。
ペレの踊りをするんだったのかもしれません。
メリモナークの楽しみ方
TV中継もバッチリ入りますので、ホテルでTVを見るというのも良いです。
よく見えるし、解説やインタビューも入るし、レイアウトもきれい。
何より移動しなくていいし、快適。
それでも会場に行きたい理由があります。
ステージ上でダンサーたちが身につけている葉や花のレイの香りが漂ってきますし、会場の熱気を味わえる。会場の外でダンサーが写真を撮っていたりね
おしゃれして会場に行ったり そういう人を見たり
観戦中 双眼鏡の取り合いで忙しかったのでひとり1個持っていきましょう!
記念グッズ販売
Tシャツ
レイの写真プリントで、着るとレイをかけている様に見えるデザインはとてもステキで気に入っていましたが、
そのシリーズは終わってしまいました。
カラカウア王のプリントされたTシャツをお土産に何枚も買いましたがもらった方はこのおじさんは誰?と思ったでしょうね。
私はまだ何枚も持っています。
観戦後、夜になり 4月のHILOの町は寒い
雨の多いHILO 地面はぬかるんでドロドロ
特に最終日は各賞の発表と表彰式があるので最後までいると夜12時位になりますが、お祭りが終わってしまう寂しさと、ダンサーたちの熱狂でなんとも言えない名残り惜しさでした。
伝説の舞台
メリーモナーク史上、伝説と言われる
今風にいうと神回
2001年のミス アロハ フラ
もう23年前になります!
幸運にも私はこれを現地で、生で見ました!
☆ナターシャオダ 対 スノーバードベント
他のダンサーもステキでしたが飛びぬけてレベルが高い二人がいました
メリモナークの会場のステージにはマス目がついているんです。
まるで ドラゴンボールの天下一武道会 でした
ジョニーラムホー率いる ハーラウ オ カウアカニレフア ヒロにあるハーラウです
秘蔵っ子ナターシャがミスアロハに出る!と地元は盛り上がっていました。
カベロコンキ― 私たちの師がアンクルジョニーとともにチャンターを務めていました。
ナターシャの幻想的なオリで私たちは古代ハワイの森に連れていかれ、
鳥になったりトカゲになったり、いろんな物語がナターシャの体から飛びだしてくるようでした。
まさにフラの神が憑依していたようでした
一方大柄でふくよかなスノーバードのフラ。
カー パ フラ オ カメハメハ 正統派そのもの
座って踊るノホスタイルで歌いながら踊るのですが、彼女の優しく、深く、重厚で心揺さぶられる波動
のびやかな歌が響いて誰もが聞き入り、会場は水をうったような静けさ。
もう、ミス アロハ フラより高貴なクイーンの風格。その存在感に思わずひざまずき、ひれ伏してしまいます。
まさに静と動、といったフラの戦いで、誰もが勝つのはどっちだーー!!うーーと悶絶しました。
結果は?
ジャッジのポイントが読み上げられるんですね。1000、1001ptみたいな
その差1ポイント の結果を観客が理解した時
うおおおお~とスタジアム全体から湧き上がる地鳴りのような歓声とうめき声とため息と、賞賛と…
もう何もかもが湧き上がりました。
あの時の鳥肌と地鳴りは忘れられません
ミス アロハ フラ2001の栄冠はナターシャに輝きました
この年は伝説となっています。
ナターシャはとっても小柄、近くで会ったことあるんですが150cm前半?
こんなに小さいんだとびーーっくりしました
ステージではそれはそれは別次元のオーラ
ナターシャのコメント
「7分間をフラを愛する人々とシェアしたい」
と語っていました
すごいなぁ
大会後公式ビデオが発売され、もちろん買って何度も見ましたが、
ナターシャのフラを見るたびに涙があふれてきて困ります
私の話が上手く伝わるかわかりませんが、伝説の目撃者としてみなさんに伝えていきたいと思います。
もちろん、動画などもあるのでチェックしてね!
MAHALO~!