確か1月中旬に通知書が届いたのかな?(この頃、全てに必死に生きてて、記憶があやふや 長女にもよく当たってしまってました)
「子ども発達支援センター通所通知書」
たしか、そんな題のセンター行き決定の手紙でした。
これを見た私は…泣きました。
それはそれは、盛大に、ワンワンと声を上げて。
分かってる。
今この時期に適切な療育を受ける事が次女にとって1番良いことも。
でも、、、自分で頭で分かって受け入れるのと、社会から突き付けられるのとでは全く違って
まるで次女が「普通じゃない」って烙印を押された気分になってしまって、幼稚園断られた時の光景がフラッシュバックして、これからの次女を思うと…悲しくて悲しくて申し訳なくて、涙が溢れて止めようがなかった。(これ書いてても思い出して涙が)
あぁ…次女ちゃんが普通じゃなくなっちゃう、そんな気持ちでいっぱいでした。
夫は黙って抱きしめてくれてたけど、私の内心は「この人、この通知書の意味、ちゃんと分かってんのかな?」って八つ当たりの気持ち。(最低か!)
潤んだ瞳の夫がいましたが、慮ることができませんでした。
ひとしきり泣くと、落ち着きを取り戻し
泣いてても仕方ない、決まったもんは決まったんだ。
次女が楽しく快適に過ごせるようにサポートしやな!
と切り替えれるようになりました。
(性格ー!)
そして、この頃から療育について、(もしかしたら自閉症かもしれないから)自閉症の特性について、自閉症児の発達段階について自分なりに勉強しはじめました。(この頃も診断はまだグレーでした。)
うっかりネガティブな情報に引っ張られないように、そこに気をつけてネットからも情報収集します。
通知書が届いた日。
次女の為に1番泣いた日。
この日以降、私は次女に対して泣いたことは今もありません
今、こんな楽しそうに笑う次女に、私が勝手に悲観して泣くというのは、次女の命に対して失礼だ、と気づいたからです。
本人は辛くないのに、勝手に可哀想がって泣くなんて、失礼にもほどがある!
と気づき、なんて自分勝手な親なんや!と次女に詫びました。
いやほんま、気づけて良かった
次回、療育センター通所準備、の予定です。
今回めっちゃ長文なってもた
読んで下さりありがとうございます