「重い人は嫌です、線を引きます。」
って、自分のキャパを守るために
すごく大切なこと☺️✨


でも、「重かった時代の私」を投影して
「見たくない、関わりたく無い」のは、
「重い人」に対してではなく、
「過去の重かった私」に対して、
「見たく無い、関わりたくない、嫌い」
をしているのだなぁ。


根底が「嫌な私見たくない」から、
「重い人はいらない」
「他人の未熟さを許せない」だと、
創られる現実も変わってくる。


重い人が出てくるのも、
実は「自分の中の、
なんか癒してないとこあるかもね」
のお知らせだったり📢


自分を見たく無いままの排除だと、
いっつも誰かが敵に見えてって、
自分が結局、一番苦しい。


自分を守るための線引きか、
「過去の自分を見ないため、嫌いだから」
他人を線引きするのか?
の根本のところが大切。

重くなる私も、
重くて未熟なあの人も、
本当はただ、「傷付いた者同士」
純粋な思いや貢献心を無下にされたり、
受け止めて貰えなかったり、
分かって貰えなかったりしてきたのだよなぁ。


まぁ、もちろん、
嫌なものは嫌🤣笑


嫌だけれど、「自分の内側」のところは、
「キャパを守るための線引きか」
「自分の過去を見ない上での線引きか」が、
自分のために、見てあげれたら良いかも😌!
線引きをするにしても♡


結局どちらも、「自分を守ため」なのだから😌!
上限の無い豊かさを♡