「インパール作戦をご存知でしょうか?」先日のニュースでこう問い
かけられた。史上最悪の作戦と言われている、沢山の犠牲者を出した
戦いの事らしい。いや、満足に戦う事なく惨敗したというとんでも
ない作戦の事のようだ。
私の頭の中に、ある光景が浮かんだ。それはミャンマー最大の
都市ヤンゴン郊外の、田畑に囲まれた、とても静かな所であった。

その道は、場違いなほど綺麗に舗装されていた
阿部総理のヤンゴン訪問のために、道を整備したそうだ。

入り口はこちら

真っ直ぐに伸びる参道
ところどころに、燈篭が設置されていることに、日本人の心を思う
心遣いを感じた。

ジャングルで亡くなった戦友の方と共に、故郷ではなく
異国のミャンマーでの、永遠の眠りを望んだ方も

ヤンゴン日本人会の尽力により、1999年に落成した日本人墓地で
日本政府が建立した慰霊碑がある。第二次世界大戦ではここミャンマーで
約19万人もの日本人が亡くなった。
ビルマ(ミャンマーは、かつてそう呼ばれた)の戦いとは
イギリス領ビルマとその周囲を巡って、日本軍・ビルマ国民軍
インド国民軍とイギリス軍・アメリカ軍・中華民国国民党軍とが
ぶつかった戦いの事。


日本軍は勢いに乗じて、ビルマ全土を制圧してしまう
2008年に亡くなった「ビルマの竪琴」の水島上等兵のモデルと
される、中村一雄さんの記念碑。

管理人のミャンマーの女性が一人いた
二度と過ちは繰り返さないと誓い、記帳とわずかばかりの心付けを
してきた。墓地は緑豊かに整備されていて、爽やかな風が吹き
渡っていた。

ビルマ制圧後の日本軍は、連合軍の本格的反攻で、インパール作戦を
実施し、その機先を制しようと試みる事になる。しかしそれは大いなる
愚かな作戦であった、ルートの遮断を戦略目的として、インド北東部の
都市インパール攻略を目指したその行軍は、満足に敵と刃を交える事も
なく、敗走する事となるのである。この時の日本兵の大半が飢えと
病で亡くなったそうであり、敗走する兵達の行く道は、凄まじい
数の白骨死体で埋まっていったそうである。
ちなみに碑に記されたラングーンとは、現在のヤンゴンの事。

ミャンマーの人々は信心深い
その祈りの火は、けして絶やされる事はない。私達人間は何のために
生まれてきたのか?ジャングルでこんな風に、人知れず消えていくために
生まれたのか?伝染病にかかり、生きたまま焼かれるためにここに
来たのか?雨季の水に腰まで浸かり、皮膚がぶよぶよになるまで
戦うために生まれてきたのか?犠牲になったのはまだ若い青年達。
なのに!いまだに世界から戦火が絶えない!人間は愚かである。
何度過ちを犯して、何度若者を犠牲にしたら気がすむのであろうか。
戦い憎しみ合うこと、それが私達人間のサガなのなら、こんなに
悲しい事はない。

ミャンマー・チャイティーヨ・ゴールデンロック祈りの場
ゆんち
ミャンマーの仏様の見つめる未来に、何があるのだろうか
先日長崎「軍艦島・端島」を訪れた時に、元島民のガイドさんに
「どうせ皆さんは物見遊山でしょ。世界遺産に登録間近で、知名度
あがりましたし。」と言われた。少し悲しかった。世界遺産とか
関係なく長崎の日本の近代化を支えた、「黒いダイヤ」を発掘して
いた島に、純粋に歴史的価値を感じていたのに。
若者がこうだとか決め付けちゃいけない。ちゃんと地球の未来を
考えている者だっているんだから。

ミャンマー・ヤンゴン・チャウッターヂーパヤー
ゆんち
え~と、私は無知です。特に戦争関連の事は、悲しい事が多くあえて
避けて生きてきました。私なりに懸命に書いたつもりですが、誤った
部分もあると思います。どうか大目に見て
