添削をしていてこれもよくあるミスなのですが、論証を何行にも渡って書いていて、なおかつ当てはめが薄い答案があります。

そういう人に限って、論証の内容自体は正確でよく書けています。

書けてるならいいじゃねーかと思われるかもしれませんが、残念ながら特に憲法では論証に点はふられていません。

これは優秀答案を見てもらえればわかるのですが、論証らしい論証を書いているものがほとんどないことがその根拠です。

ですので、これから勉強を進めていこうという方は、くれぐれも予備校で配布される論証を覚えるということはしないでください。

私人間効力や外国人の人権の論証を書かなければならないと思っている方は特に注意です。これらは書いても書かなくてもどっちでもぐらいのものです。

一方で、当てはめが薄いことは非常に問題です。

憲法は近年問題になっている時事問題に絡めて出題されることがあります。

こういった問題では、普段の憲法問題に対する自身の意識を答案に表せば高評価が得られます。

例えば令和元年の試験では、フェイクニュースに対する規制法案が21条1項に反するかが出題されました。

問題文には、以下のとおり記載されています。

【我が国においても,甲県の化学工場の爆発事故の際に,「周囲の環境汚染により水源となる湖が汚染されて,近隣の県にも飲料水が供給できなくなる。」という虚偽のニュースがSNS上で流布され,複数の県において,飲料水を求めてスーパーマーケットその他の店舗に住民が殺到して大きな混乱を招くこととなった。】

これのみを見ると、フェイクニュースは規制されるべきと考えてしまいそうです。

しかし、この法案では「虚偽表現」を「虚偽の事実を,真実であるものとして摘示する表現をいう」と定義づけられていますが、もう少し深く考える必要があります。これでは、表現の萎縮を防止するに必要な定義がされたとはいえません。

これはどういうことかという説明をすれば高得点が望めます。

問題文にあるような、飲料水が供給できなくなるというような、事実の有無をはっきり判断できるような事象については嘘の定義は明らかです。

一方で、飲料水の汚染は程度問題を含む言葉であって、事実の有無をはっきり判断できるとは言い切れません。

今年の水は去年の水より汚いとかは、汚染度を測る装置によってはっきりするかもしれませんが、湖の汚染度は、人の目によって判断することもあります。

「あれ?今日はなんか湖濁ってね?」
「いやそうでもなくね?」
って感じで

「あれ?今日お前顔青白くね?」
「いやそうでもなくね?」
って感じで

色彩感覚はその人の主観によるものですから、水に汚染があるという主張が一概に虚偽といえるかどうかは微妙です。

例えば、「生活用水に使われる〇〇湖の水が、環境汚染により年々濁ってる。このままでは我々の飲水が危ない」とツイッターで投稿したとしましょう。

この場合、この投稿は、「委員会」が「いや、そうでもなくね?」と思ったとしたら、「公共の利害」に関する「虚偽表現」に当たることになります。

これでは許される表現とそうでない表現の区別が不可能になり、表現に萎縮効果が生じることがあります。

このような一歩深い問題文の読み込みが、高得点の鍵になります。

これは、過度に広範故に無効の法理だけでなく、21条1項違反の主張における手段審査でも使えます。

こういったことを私見で書くと答案に厚みが増し、書くことないと悩むことがなくなりますので、普段の答練から考える癖をつけることをおすすめします。