「お悔やみ申し上げます」

みたいな、きちんとした言葉が
素直に出せなかった。

小林麻央さんのご逝去。


私もひそかにいつもブログを拝見していて
ひそかに応援しながら励まされていたひとりです。


悲しい、残念
何よりご家族のことを考えたら
赤の他人がなんにも言えることがないのだけれど


ご本人が、


「若くして死んでかわいそう、
小さな子供をのこしてかわいそう

そんなふうに思って欲しくない。

私の人生は愛し愛され
彩りあふれた豊かな人生だったからです」


とおっしゃっていたとのことで。


あえて
赤の他人として、遠くで客観的に感じたこと
を書きたい。



愛しかない。


彼女をとりまくすべてのことが

病気、死


という、人生でももっとも苦しいであろう
苦境にいてさえ


ひたすら愛 しかない



そのことに、ただ
敬服
尊敬


周りのご家族のみならず
たくさんの人へ自分の生き様をシェアして
たくさんの励ましと、感動と、

そして「愛するって何か」


ということを教えてくれた。


その、とんでもない愛の大きさ、
心の強さに誰もが驚かされたと思います。


いつも、笑顔のイメージしかない小林さんですが

本当にすごいと思ったのは


海老蔵さんと婚約します!
結婚しました!


そんな幸せ絶頂の時から


亡くなる前、最後のブログの
とんでもない苦しみや痛みに悩まされているはずのときまで
変わらずあの笑顔を届けていたということ


作ろうと思って作れる表情だろうか。


きっと、それほどに
愛している人だから
なしえたことなんじゃないかなと思いました。


そんな人だから
本来だったら、おばあちゃんになるまで
海老蔵さんを支え続けて
海老蔵さんを

「愛してる」

って見送ってあげたい


っていうのが本当の願いだったんじゃないかと思うけど、
愛する人に「愛してる」っていって
愛しながら愛されながら生涯を終える


なんと見事な生き様だったのでしょう。


彼女の1割でも見習って
もっと周りに愛を与えられるようにできたら
と恥ずかしくも情けなくも思ったり


来世も再来世も一緒にいたい、
と約束しあえるような愛する人と
一緒に助け合って生きていって

「愛してる」

って終われるような人生に
私もできたらいいな、って思います。


海老蔵さんと、来世でまた逢えるのを
天国で楽しみに待っていらっしゃるのではないでしょうか。



個人的な話ですが
小林麻央さんの闘病にまつわる出来事を見ていて

私は、高校生の時に亡くなった
大好きなおじいちゃんのことを思い出さずにいられません。



私が大好きだったおじいちゃんは、
白血病で何年か一進一退の闘病を続けて
私が高3になったばかりの春に亡くなりました。


おじいちゃんは、まさに
「愛の人」でした。


何が「愛の人」なのかっていうと
理屈で説明できないけれど
小林麻央さんを見てて思うのととてもにている印象です。


私が生まれ育った環境は
決して愛にあふれた感じではなく
超スパルタで、学校でもい家庭でも安心できる居場所がなく、という苦しい子供時代でしたが


このおじいちゃんが、とにかく
いつも私のことをとてもかわいがってくれて
大好きで大好きで、


なんだかギスギスした親戚関係の中でも
不思議と
おじいちゃんという愛を中心に、みんなが集まって繋がれていた、といっても過言ではないほど
とにかく愛がいっぱいの素敵な人だったのです。


私が、「世の中に愛のメッセージを伝えよう」
と思った、最初のきっかけは
このおじいちゃんから学んだ愛のあり方
に、7歳の時に感銘を受けて

今思うと、おじいちゃんが、私の生き方の先生でした。おじいちゃんから学びたいことがたくさんあって、たくさん学びたいことがあるからおじいちゃんが死んじゃったらどうしよう
って怖くなって泣いたりするくらいに、大切な人でした。


神様ってどうして、そういう優しい人から
先に奪っていくんだろう


っておじいちゃんが亡くなる時に思った。
意地悪で悪態ばっかついてる人が白血病
とかって聞かないし、天使のような人がなぜかそうして難しい人生を与えられて、周りに愛や強さみたいなことを、周りに教えてくれる

そんな皮肉な試練の与え方を
運命は時にするよね。



おじいちゃんがついに弱り切って
お見舞いにもたくさんは行かせてもらえなくて
(無菌状態にしないといけないからね。)

久しぶりにお見舞いに行けたある日
もう、骨と皮だけになってしまったおじいちゃんをみて、もうかろうじてなんとか生きているけど、、くらいな様子で、心臓がぎゅっとなった。


ずっと看病してたおばあちゃんも
うちの両親も、親戚も、誰もが
「もうダメだ。。」

って内心諦めていました。


それなのにおじいちゃんは
笑顔で言いました。


「早く元気になって
  家にかえって
 水餃子を作らにゃなぁ。」


(※水餃子を家族で作るのは、おじいちゃんが始めた伝統行事で、父が子供の時から、時々一家や親戚総出で丸一日水餃子を作って食べる、という家族の象徴みたいな行事でした。
「水餃子包み語りライブ」っていうのは、そのおじいちゃんから受け継いだ愛の伝統行事から来てるんです。)



みんながもう無理だって諦めてたのに
一番苦しい本人が、最後まで
そういう姿勢でいたことに


すごく衝撃だったし
やっぱり私の大好きなおじいちゃんはすごい人だな、本当に強い人って、こんな風に生きるんだ!!


って心から尊敬しました。


まだまだ、未熟すぎて
そんなおじいちゃんのようには
なれていないけれど


愛の人から学んだことは


次の愛にして


ちゃんと学んで体現していかないといけないと思う。


ただの
悲しいで済ませられない。


たくさんたくさん、学べることがある

見事な生き様を

愛と勇気をもって
みんなに伝えてくれて
小林麻央さん、ありがとうございました。