帰国して3日。
まだそんなたくさんの人と会っていませんが、会った人にNYの報告をすると、またいろいろ自分の中で大量すぎて整理しきれなかったことを発見できたりします。


10日目あたり?に一人乗り込んだオープンマイク(飛び入りライブ)で
行ってみたらほとんど黒人ラッパーの人ばかりで、ラップじゃない音楽だったのは2人(私含め)
アジア人は私のみ。


という状況で、その本場の黒人さんたちのあまりの強さに若干怖気付きそうになりつつも

「ここは日本文化押しや!!」

と曲目を決め
1月に発売したゲーム「祝姫」挿入歌
「君笑みの華」
を歌ったら、黒人さんたちにめっちゃうけて

「You are So Great!!」
(この独特の、絶妙なモノマネ具合は、ライブで!)

となったという顛末を書きましたが


今日になって、あの時
なんで自分があんなアウェーの中で直感的に「戦える!」
と思ったかがわかりました。


リアルタイムの日記でも書いてますが
黒人ラッパーさんたちは、当然ですが、すべて全員100%オリジナルです。


最初に参加したブロードウェイにあるお店は
全員ミュージカル系のクラシカルな歌い方で、カバー曲でした。

(なので、Let it Go の25ヶ国語版を歌った)


そんなかんじなんだなるほどと思って
参加した2つめが、そんなガチ本場なラップのアーティストばかり、っていう世界観の違い。


ブロードウェイの方は
みんなポジティブな動機と目的があっての、じぶんの好きな音楽や、表現力で競う

かんじでしたが

黒人さんたちは
文化的、歴史的な重みが違うな、というかんじ
普通に歴史の教科書でしか見たことのなかった、虐げられてきた、けれどそれでも誇りを失わぬよう、歌を歌ったりリズムで遊んだりして、ブルースを生んだりした
そんな、ネガティブなバックボーンからの、反骨精神だったり、仲間同士の讃歌だったりするわけで、ちょうど
真逆な世界感でした。


ずいぶん時代は進んだとはいえ
今でも人種差別問題は日常的に根深く残っているらしい。

そんな彼らのラップは
めっちゃ難解で、超早口で、さらにがっちり韻をふみまくりなので
おのぼりさんの日本人には、とうていほとんど聞き取ることが難しかったのですが

なんとか聞き取れる単語から
意味を解釈しながら耳と心を傾けていると
聞き取れないながらにも


「俺たちは黒人として
    生まれて
  それだけで
理不尽なことが世界にはたくさんある

でも、俺は黒人として生まれたこと
そして、俺が俺として生まれたことを誇りに思ってる」


(なんとなく翻訳。なんとなく韻。)


というメッセージがほぼ中心でした。
時折いる白人のラッパーさんも
人種問題について言及していることが多く
やはり、この世界の理不尽対して
思うことがあるから、あふれてしまって結果歌詞や音楽になってしまった感。


これが、圧倒的な強さの正体


というところまで
は現場で分析できたんですが


なんか、どっかで
彼らと同じ土俵で戦える気がしたというか、
それは、なんとなくぼんやり
だったんです。

いやはや、圧倒的な歴史深いエモーションを目の当たりにすれば
つえええ!!
とびびる気持ちの方が正直でかかったんで!!
(断言)

珍しく私が、緊張したもの!
私が緊張したなんてももクロちゃんと共演以来ですよ!


それで、もうひとつの、密かな感情がぼやっとしてかすんでたんです。

そのぼやっと感じてたなんかが
「共感」であることが
時間が経ってやっと理解できました。


自分に置き換えたらまんま、わかる!!!

ってかんじだった。


歌詞も、Black People って主語が自分になれば
すごく同じようなことを言っているんですね。

「花鳥風月」的な感じです。

(しほりオフィシャルサイトトップページから無料DLできます!)


私はちいさいころからずいぶん変わっていて
母や先生たちをかなり困らせたそうです。
片耳が聞こえないせいか、全く周りのことが見えず聞こえず、「他人と関わる」ということを全くせず、しゃべりもせず、ひたすら何かを作ることに、一日中没頭している、誰とも交わらない子でした。

中学生くらいまで、「友達の作り方」すら知らなかった。

それでいて、我がめちゃくちゃ強すぎて
周りと協調するということを全く知らない。

だから、どこへ行ってもひとりぼっちで
それでいて何をやっても悪目立ちをして、いじめられたり、いつも浮いた存在でした。


小さい頃から
自分の中にあった強い感情をいまでも忘れません。
世界は私にとって敵で、不自由と苦悩と絶望に満ちた人生、という風に映っていて
周りへの警戒心が強かったので
知らない大人と話すことは一切できなかったし
人前で安心して無邪気になる、ということは絶対にできませんでした。


それはもともと自分の中にあったものなのか?
後天的にそうなったというわけではないのですが
(うちは当時わりときちんとした普通の家庭だったので、そこまでひねくれる理由もない。)


自分を上手に表現できない圧倒的なもどかしさや
自分なりに信じてやることが、ことごとく周りに受け入れられない怒りや悲しみが
表現者としての私を磨いていってくれました。


もっと大きくなって、自分の中で荒れ狂う「我」を無理やり押し殺して
周りとちゃんと仲良くしたり、「いい子」になろうと努力を重ねて

ある時「明るく元気でポジティブなしほりちゃん」
が生まれました。


それこそ、後天的に身についた、新たな私でしたが
社会生活に馴染むためには
本当の自分を押し殺さねばなりません。


自分の中でずっと荒れ狂う強烈なパワーに自分が疲れてしまうほどのなにかが心にあるのを
歌ったり、作ったり、書いたりすることで
消化し、昇華するようになったのです。


ネガティブなことをまんまネガティブに書いても
誰のためにならないので
なぜそう感じるのか、じゃあどうだったらいいのか、こうしたらみんながもっと幸せになれるんじゃないか?」


という考えにまで発展させて
歌詞や曲にメッセージを込めるようになりました。


今でも仕事や生きていく中で
どうしようもない理不尽なこともたくさんあって

精神年齢がいつまでたっても
大人にならない私は

本当はもっと上手に受け流してしまえばいいのに
とどこかでは思うのですが
傷ついても傷ついても、むきだしの心で生きることを、どうしてもやめることができません。


だから、この年齢になっても
本気でぶつかって、ガツーンと傷ついて
そのたびにさめざめと泣いたり、ぷんぷん怒ったり、かと思ったらちょっと嬉しいことがあればもう次は大爆笑してたり

全く騒がしくていそがしい奴です。


でも、感じることが
考えることになり
それが作ることになって
いつしか進化して、自分自身のためだけではなく、他の人へ力になれるようなメッセージへ変えていく


それが私の生きる目的そのものであり
表現をする目的であり
私自身なのだと、今はかなり受け入れるようになりました。


めんどくさいほどにパワフルで
もっとかわいらしく生まれればどんだけよかったろうと思うこともあるけど

でも、私はこんなんでも
私が大好きで、誇りに思っていて
私に生まれてよかったなぁ!!


と思っています。


「Black People」が、「私」
にまんま置き換わった感じ


これが、なんとなく
「同じ土俵で戦える気がする」

と怖気付く自分の背中を押してくれた理由だったんだな、と気付いた本日。



長くなりました。
お付き合いくださった方、ありがとうございます!!

おやすみなさい♫



しほり