さっき、珍しくTVを見ていたら

ニュースで天才卓球少女の特集をしていました。



彼女には障害がありとても身長が小さいのがハンデだとのこと。





あ、懐かしい光景。



両手のレントゲン。





小さい頃、毎月のように見ていた図だ。





私も彼女と同じ障害、「成長ホルモン分泌不全性低身長症」だったのでした。

生まれた時から院内でも一番小柄でしたが

幼稚園の年長さん(6歳)の時に、年少さん(4歳)の一番小さい子よりも小さかったのをよく覚えています。



障害と診断された小5から高1か高2まで週に4、5回、成長ホルモンの注射を打って

奇跡的に153cmまで伸びました。





普通は運が良くても150cm超えることはないのだそうで

かなり奇跡的だったようです。

担当の女医さんが飛び上がらんばかりに喜んでいました。

注射を打っていた時間帯などがよかったのではとのこと。





この障害を持つ人を初めてTVで見たのでびっくりするとともに

懐かしい気持ちと、親近感を覚えました。



(お母さんにお尻に注射打ってもらってる姿が、当時の自分と母に見えたのです。。)






私は仮に伸びなかったとしてもどっちでもよかったと思ってるのですけど

その卓球少女の身長が伸びるといいなぁ、と応援したい気持ちになりました。

スポーツする上で身長は伸びた方が力を発揮できるでしょうし。





がんばれっ*^^)ノノ☆







ちょうどなので。



今日は、今までちゃんとは書いてこなかった障害のことを書こうと思います。





プロフィールにはちょっとだけ書いていますが

私は左耳が先天性の重度難聴です。





ゼロではありませんがほとんど聞こえず、日常生活では全く使えません。

しほりとあすかのライブの時

必ず、私の右にあっちゃんがいてくれるのも、そのためです。







左が聞こえないのだと認識したのは9歳の時だったと思います。

形がおかしいんだな、と気付いたのもその頃だったと思います。

(小学生の時にはこれが原因でいじめられたりもしましたが、高校の時

「しほりちゃんの左耳、妖精みたいでかわいいね^^」

と何げなく言ってくれた友達がいて、すごくびっくりしたと同時に感動したことは一生忘れないと思う。)







最初から半分聞こえないのが当たり前だから

不便はあっても、不幸ではありません。





それ以上に

半分聞こえないおかげで、異常なまでの集中力と卓越した音感に恵まれました。

2歳の時には音を外さずに歌を歌ったそうです。

音楽教育を受ける前から作詞作曲をしていました。



左耳が聞こえない分、右耳がとても発達しているのかもしれません。

また、右耳は右脳とつながっているそうで、芸術方面に進んだのは必然的かもしれません。





そういったことをふまえると

左耳が聞こえないことも神様からのギフト。

右耳が聞こえてくれるのも神様からのギフト。




ラッキーとしか思えないのです!







多分、一生聞こえるようにはならないので

両方きこえる「ステレオ」の状態は経験することができませんが

その分、立体的な音の世界を想像することはできます。







ステレオで左右に振る(パン)という技術があるということを

高校の頃に友達との会話の中で初めて知り、「何それ!?」と衝撃を受け

ピアノのレッスンで右手の音を右耳で聞き、左手の音を左耳で聞くという練習方法があることを知り、感動しました!



歌手がよくレコーディングの時にヘッドフォンをずらしたりするシーンは

片耳外すと生声も聞こえるため音が取りやすい、ということも去年初めて知りました。

これも激しく感動しました!



音が取れないという現象は、一度喉風邪で耳がおかしくなった時以外経験したことがなかったのですが、おそらく元々右しか聞こえない分メロディに集中できるのでしょうね。







まだ私の知らない音の世界があるかもしれません。

でも、そういうのを一生経験することはないとしても

そういう音の世界があると知った時の感動がすごいのですよ!



何だろうそれ?



右から左に抜ける音??どんな風にきこえるんだろう・・




想像するとわくわくするのです。

未知の素敵な世界があるのだと思うだけでわくわくできる!感動できる。







アレンジを始めた近頃は

やはり片耳聞こえないことがかなりネックになって試行錯誤しているのですが

それ以外では、不便はあっても、どちらの耳も大切な、大好きな私の宝物なのです!







だって、もし左耳が聞こえてたら

こんなに尋常じゃない集中力、なかったと思う。



しほりちゃん!って呼ばれても呼ばれても

気付かずに、何時間でも表現や創作に没頭してきた。



もしかして絶対音感もなかったかもしれない。



音楽家になっていなかったかもしれない。









こういった障害?を持って生まれてきて

両親は自分を責めたりもしたようだし

たくさん心配をかけたのではないかと思います。



でも、私は、こんな私に生まれて本当に幸せです!

障害という名前をつければつくのかもしれないけど

私は「完全な私」として生まれてきたのだと思ってる。







いろんなことがあったけど(今も色々あるけど)

生まれてよかった。

こんな私に生んでくれて両親にありがとう。






そして、やっぱり生きててよかったよ。





もっともっと、そう思えるように

自分が経験すること、すべてがいつかの誰かの役に立つように。



それが子供の頃からの願い。

その願いがあったから、どんな辛いことも乗り越えてこられました。







みなそれぞれ

いろいろ、背負ってきたものがあるでしょう。







それは果たして、荷物 なのでしょうか?








実はよーーーくみてみたら・・・



宝物・・・なのではないでしょうか?