孤児だった雷蔵(Rain)はベールに包まれた秘密組織「小角一族」に拾われ、訓練を受けて世界最高の人間兵器(殺し屋=刺客)として育てられる。ある日組織によって友人が無慈悲に処刑されたのを目撃して組織を飛び出した彼は、行方を隠したまま静かに復讐を準備する。
一方、ベルリンでは正体不明の組織による政治的暗殺事件を追跡していたユーロポール(欧州刑事警察機構)要員のミカ(ナオミ・ハリス)がトップシークレット文書を手にすることになり、それによって雷蔵のライバルのタケシ(リック・ユーン)が率いる「小角一族」の暗殺団の標的になる。偶然に追われていたミカを救い出した雷蔵は、組織が二人を決してそのままにはしておかないということを悟って、今や決戦の時になったことを感じる。
ヨーロッパ全域を舞台に繰り広げられる追って追われる追撃戦の中で雷蔵とミカは小角一族とけりをつけるためにお互い信じ合い頼りあう。
映画の中間中間によく登場する「弱さは力を必要とし、背信は血を呼ぶ」というせりふは「小角一族」の教訓のように思われている。 忍者を養成する秘密集団「小角一族」は人間らしさなんてまったく存在しない弱肉強食の世界だ。そして雷蔵はそこから生き残った生存者であり、体制に対する反逆者だ。雷蔵は自身の人生がある所だと信じていた「小角一族」を離れて本当に自身の人生を探すために組織に対抗する。
『ニンジャ・アサシン』が描写する忍者は、人間の領域を超えた超人である。幼年時代から孤児たちを集めて殺人兵器として育てる秘密集団「小角一族」は忍者という存在感に神秘さを重ねてリニュアルした仮想的世界観だ。隠遁と潜入に優れた暗殺的能力を発揮するという忍者の存在感自体をスクリーンを画用紙にみなして想像力を上塗りして展示する。
事実、古い遺物とも言える忍者を、現代という時代の中で再現したという点だけでも『ニンジャ・アサシン』はすでに時代的現実感を拒否するファンタジーだ。 もちろん『ニンジャ・アサシン』にかける期待感の大部分はアクションに置かれているだろう。導入部からハードコア的水準の身体切断イメージを露出するし、その後も残忍なシーンがたまに演出されるという点でB級嗜好を果敢に示している。もちろん導入部の殺りくシーンを始め、雷蔵と小角一族の一対多数の対決を描写する大部分のアクションシーケンスは派手な見どころを提供する。
『ニンジャ・アサシン』は大衆的なハリウッドのメインストリーム映画と言うよりは、マイナー的なB級嗜好のアクション映画と称するのがより似合うように思われる。小角一族に反発した雷蔵が組織を崩壊させていく過程はまるでステージを突破するロールプレーイングゲームのようだ。ステージごとに適切なミッションを遂行してその終わりに至り、最終的にボスを撃破すればゲームは終わる。 それだけ『ニンジャ・アサシン』は単純で明確な映画だ。
Rainのハリウッド主演作という事実に期待感を抱いた彼のファンにチップを一つ与えるなら、機械的な無表情に一貫する雷蔵を演じるRainは寡黙なアクションキャラクターとして雷蔵という人物に80%以上は没入したように見える。何より英語のせりふのために昼夜を問わずに英語の勉強に精進して、無理なアクションシーンも代役を使わずにらくらくとやりここなした点、すばしっこくて鍛えられた雷蔵になるために、体脂肪0%という見事な肉体を作り出した点などは「やっぱり努力派のRainらしい」という言葉を思わずもらしてしまった。
結構詳しくストーリーを紹介してくれております。
日本でもたくさんとりあげてくれたら嬉しいね・・・
早く公開日が決まってほしいものです。^^
写真はラスベガスです。