インタビュー後記 | RAIN(ピ)LOVE2 旧別館1

RAIN(ピ)LOVE2 旧別館1

yahooブログから引越ししてきました。2005年8月22日~2012年8月26日までの記事がアップされています。

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朝鮮日報エンターテインメント部のチェ・スンヒョン記者の記事です。
今回は、アジアのスター“ピ“にインタビューをした際の後記として、その時の様子を書き下ろしていただきました。


まだ韓国では認めていない人も結構いますが、ピ(rain)は今年1年でアジア全体のスターノ上り詰めました。 数字だけを見ても、1月のソウルを皮切りに日本・香港・中国を回る東アジアツアーで、10万人以上の観客を集めました。 そんなピに、先月12日に会うことができました。

日本や香港公演の取材に行った時も、短いインタビューをすることは出来ましたが、きちんと会うのは、この日ピの所属事務所JYPエンターテインメントの事務室が初めてでした。

ピは当時、最近放送を開始したKBSの新ドラマ『このひとでなしの愛』の撮影真っ最中でした。 インタビューの為、ドラマの撮影を終え、車をしばらく走らせたと言いました。 ベレー帽に赤色のジャージー姿のピは、スラリとした体が印象的でした。 ステージでピが服を脱いだ姿を何度も見ましたが、この日、ファスナーを半分ほど下げ、胸元を大きく開けたピの姿はちょっぴり可愛らしく見えました。

礼儀正しいこの青年は、10分ほど遅れて到着しましたが、会うとすぐに90度でお辞儀をし、「すみません」と何度も言いました。 目が小さくて、声も控えめなこの青年が、本当にステージの上で2万人の観客の心を一気に虜にするあの“ピ”なのか?と思うほど、明らかに違う姿でした。

しかし、10分ほど軽い冗談を交わした後、彼はステージの上と劣らぬカリスマ性を見せてくれました。 この話が出た後、私は緊張しないわけにはいきませんでした。

「アジアのファンたちが私を“韓流”スター中の1人と見るなら、そこまでだと思う。私を韓国のスターではなく、歌手“ピ”そう思わせてみせる」と言うのです。

ピは率直な人です。 東アジア地域で自身の公演に数万人の人が集まる理由について、自身が出演したドラマ『フルハウス』の影響を否定しませんでした。 実際に、ピの公演に行くと、ピが出演していたドラマのシーンがステージのバックに次々映し出されたりもします。

ピは「視聴率50%を軽く超えていた『フルハウス』を通じ、東アジア地域の大衆に私の顔を知ってもらえた。ここに私が華麗なダンスを踊る歌手だという点が相まって、シナジー効果を起こしたようだ」と話しました。 しかし、今のピが『フルハウス』のピ以上であることは確かです。

ステージの上で流暢な英語を操るが、ピは公演の前夜、数え切れないほど練習をして“台本”を覚えるのだそうです。 彼はまだ、英語に自信がないのでしょうね。 ピは、「英語さえ出来るようになったら、あとは全て自信がある」と言うほどです。

「ステージで自由自在にアドリブができたら、もうちょっと観客と一緒に呼吸ができるのに」と言い、とても悔しがっていました。 実際、最近ピは、昼夜を問わず英語や日本語の勉強に時間を費やしています。

ピは韓国では、顔が地味な方です。 ピは、テレビのバラエティー番組に出て、自分の小さな目を漫画にして視聴者を笑わせることも度々あります。 とっさに「あなたは、目にコンプレックスがあるようだ」と言うと、「全然そんなことはない」と笑うのです。「どんなにブサイクでも、それぞれ魅力はあるもの」と言いました。

面白いことに、ピはデビューする前にオーディションを幾つも受けていますが、そこで芸能事務所の社長たちが揃ってピに二重まぶたの整形手術を受けるように勧めたそうです。 ピもまた、あまりにもオーディションに落ちるので、一度整形外科に行ったそうです。 しかし、その時の医者がピに「手術をした瞬間、あなたの魅力は終わりです」と言ったそうです。

そこでピは、また目を覚ましました。「私は何をしようとしていたのか。私だけの魅力を今からでも持たなければいけない」と思ったのです。

ピにとって、2000年に死別した母親は、1日3時間しか寝ずに、常に前進することを教えてくれた命の原動力です。 韓国のテレビ番組でも何度かそうした事情が紹介されたこニがありました。 ピが中学校2年生の時に父親が事業に失敗した後、生活が苦しい中、糖尿病の治療をろくに受ける事が出来ず、合併症でこの世を去った人です。

ピは年末に行われた歌謡大賞の授賞式で、母を想いしばらく泣いていました。 ピはインタビューで、「私が一生懸命生きていられる理由は、ひとえに母のため」とし、「母が私の宗教」だと言いました。

「お金が無くて、母の持病もろくに治療してあげられなかった私が今、どうして放蕩生活を送れるというのか?もしそうなら、顔を上げて生きていけないだろう。ただ、仕事中毒になって生きている」と話すのですが、悲壮感が切々とにじみ出ていました。

ピは、「歌手は公演する際、演技もしなければならない」という信念も持っていました。 「表情一つにも振り付けが必要だと思います。1分1秒も観客の心を離さないマイケル・ジャクソンのような舞台を作りたい」というのがピの今後の決意なのでしょう。

ピは、自身が到達できる目標を設定し、毎年その目標を超えています。 かなり短い時間で成功して走り続け、東アジアのスターにまで上り詰めたのは、少年時代からの辛い成長過程が底辺にあり、その経験がその後の仕事を選択する上で大いに役立だったのでしょう。

今後のピの活躍は更に期待できるでしょう。単なる、一時的なアイドルたちとは違う道を歩んでいるのですから。


ちょっと長かったのですが、是非みなさんに読んで欲しくて、アップしました。
ジフニ・・本当に素敵な青年です☆

一番上の写真は以前も紹介しましたが、そのときの記事について書かれてものだったので、再びアップしました。
あとのは携帯シリーズですよぉ・・