今日アイカルディ症候群をもつママさんと思われる方がフォローしてくださった模様。こちらのブログはほったらかしていて、もっぱらインスタとFacebookばかり更新していたが、希少難病なのだから、より多くの媒体に少しずつでも近況を、書くことは大切にしなくてはな、と少々反省の気持ちをこめて、久々に記事をひとつ。

ゆりちゃんは、昨年胃ろうを増設。今年から低圧持続吸引機でたれこみを防ぐようにしていて肺炎入院ない月が続いている。年始にはなんとハワイ旅行をしている(コロナ直前)。ただ、春先から、ぜんそく発作(陥没呼吸など呼吸苦)を繰り返すことが多く、なかなかつらく安定しない時期が夏の終わりまで続いた。いまも、油断できない。が、安定しているし、体重も増えてきたし、リハビリは順調で、デイサービスにも療育園にもたくさんいけている。今月から、なんと、近くのスイミングスクールのベビーのクラスに参加させてもらってもいる。

はい、数年分書こうとすると、無理がありますね笑
なので、最近の写真をのせますね。安心してください、元気ですよ。

今日は、すっごく不思議な一日だったな。お空がきれいで、風があたたかくて。

夏が近いのかな。とってもお日様が力強かった。降り注ぐ日差しの下で、散り始めている桜と芽吹き始めている若葉がまじりあっていて、とてもきれいだった。


しほりん、難病ママになって、明日で5ヶ月に突入です。

明日、大学院の最後の発表があります。みんなの前でうまく話せるかなぁ。

何を話そうかなぁ。


今日までと明日からとが、まったく異なってくる気がします。


明日でユリちゃんは5ヶ月に突入です。

ユリと過ごした150日。3人家族として歩んできた150日。


振り返れば、本当にいろんなこと経験させてもらっています。


11月9日16時16分誕生2975グラムの元気な女の子が産声をあげました。

11月10日17時NICUへ搬送

11月16日~GCUに移動

11月28日~実家

12月28日~自宅

2月4日~入院①検査・治療(ビタミンB6、ガンマグロブリン、デパケン)

2月26日~自宅


3月14日~入院②TRH療法・ACTH療法


4月末には自宅に帰ってこれるだろうか。難しいかなぁ。早く一緒にお風呂に入って、一緒にねんねしたいなぁ。


お世話に明け暮れていた12月。まだ病名を知らずに、祈るように小さな命を守っていた毎日。

無事にクリスマスと正月を迎えて、1月、自宅で始まった3人暮らし。それはもう幸せで、あまりにも普通と変わらないから、結局なんでもなさそうだといいんだけど、、、と信じて言い聞かせていた毎日。


でも、やっぱり、なんでもなくなかった。


まさかね。表情がでてきて、あぷぅ!なんて可愛い声を出し始めたころ、生後3ヶ月を目前に、発作がはじまりました。


ユリが産まれたときの感動、ユリを初めて抱いたときの喜び、ユリのもっちりしっとりした肌の甘い甘いにおい、お手手の中にかくした繊維のごみ、やわらかな髪、金色の口の上のおひげ、うるおった長い長いまつげ、本当にたまらない。かわいい。この命、ずっとずっとそばで私を照らしてください。ゆりちゃん、ぜったいに死なないでください。


生後4ヶ月の月誕生日には、同じ病気と闘っているプリンセスたち4名とお友達になりました。

明日は、生後5ヶ月の月誕生日。ゆりのことを大学院の発表のときに、すこし触れてみようかなって考えてる。そして、フェイスブックにもそろそろ書こうかなって思ってる。


わたしの大切な友達に、大切なゆりのこと、もっと知ってもらって、応援してもらっちゃおうかなって思ってる。



ゆりちゃんは、本日TRH療法の4日目です。

そろそろ効果がでる頃かな?あと一週間くらい、このままTRH点滴がんばろうね。


アイカルディ症候群にまけないよ!ゆっちゃん(4ヶ月半)今日もがんばっています!

いま会いに行くよ!


TUNE

STORY BY AI

ひまわりの約束 BY 秦基博

AM11時 BY HY


おかあさんは、ドライブしながら泣いています。

ゆりには笑って会いたいよ。



3月21日のこと。


いつも通り、私の可愛い入院中の娘ちゃん(ユリ生後4ヶ月半)に面会しに運転中。


David BowieのCh Ch Ch Ch ChangesがTOKYO FMから流れてきた。

あぁ、ユリちゃんは2015年11月に生まれて、David Bowie は2016年1月に亡くなってたんだってねぇ。

余裕がなくてそんなこと知らなかったなぁ。


この曲を聴きながら、妙に前向きな私がいて、あぁ、何かが変わって新しい章に入ったなって思った。


”CHANGES”


3月21日は、私にとって、そんな日だなって、すごく前向きに感じることができた日でした。



3月9日夕刻

お母さんに、そろそろ病気について調べて、情報を得ようとしなさいって言われた。

私はユリちゃんのお母さんだから病気と向き合おうと心に決めた。

自分の可愛い娘ちゃんの病気を知ることはとてもこわいんだよ。

まず、インターネットで”点頭てんかん”と”ACTH”について検索した。ふるえながら。


それから、アイカルディ症候群の娘ちゃんをもつママさんで連絡先を載せてくださっていた方に勇気をだしてメッセージを送った。


即返信がきた。仲間がこの世界にいると分かったその時の気持ち、それはもう、ものすごい喜びで、胸が爆発した。


信じられないことに、そのママにはそのママに加えてすでに3人の仲間がいた。

連絡をとってから何分のうちに、同じアイカルディの姫さまをもつママ友達ができた。仲間は全国区だ。

私は今のところ、5人目のアイカルディママなの。5人目として加わったんだ。

ユリが一番年下。


夕飯なんかとってる暇なんてなくて、自己紹介をして、経過を伝え合って、娘たちが引き寄せてくれたことを喜び合った。ユリの4ヶ月のお誕生日の日。ユリに仲間をプレゼントした。おかあちゃんとして、素敵なプレゼントをすることができた


3月10日

なんと翌朝にはそのママのうちの一人と会うことができた。


3月20日

なんと4家族で集合することができた。場所は横浜スカイビル。



難病のママにある日突然なった私。

医者も知らないっていう病気の新生児を抱えて、不安で不安で、暗闇のなかにいて。。。

診断がつくまでの不安、診断がついてからの不安。病名がついたところで、相変わらずの暗中模索の日々、。。

産後の身体で、がんばってきた。

情報を求めたら、アイカルディのママと出会いたいって強く願ったら、その瞬間からすべてがCHANGEした。MAGICみたいに。


みなさんは、CHANGES、感じたことがありますか。

2008年、バラックオバマが大統領になった日。

笑っていいともの最終回と消費税率が8%になった2年前の春。

子供を授かったことを知った日。


**tune**

Changes by David Bowie

Paradise has no border by Tokyo ska paradise orchestra

People make the world go round by Hortense Ellis

Dont worry Be happy by Mongol 800

Sayonara COLOR by super butter dog

ゆっちゃんの妊娠中、臨月に入ったころのある日の妊婦健診のこと。超音波検査をする先生が別の先生に声をかけ、なにやら画像を見ながら相談している。脳の形に左右差があるというのだ。


2人の先生がそのように異常性を指摘するのだから、何かが少々おかしいのだろうか。


川越にある埼玉医大に紹介状を書いてくれ、超音波専門医を訪れる段取りをとってくれた。


妊娠中期に入ってほどなく、切迫早産で自宅安静、途中一月弱の入院安静(点滴)が続き、妊娠後期、退院後も一日4錠の張り止めを処方されていた私は、この川越に向かう車中で陣痛が来てしまうことが懸念された。産院の先生からは、この川越に行く日まで張り止めを飲むよう指示された。


妊婦健診の日のみ外出を許されている状態の切迫早産の私、毎日毎日、一日でも長く赤ちゃんがお腹で成長することだけただそれだけを考えていた私が、わざわざ川越まで往復3時間弱かけて、検査をした方がいいのかよく分からなかった。もう産むだけなのに。なんだろう。先生方は何かを見つけているらしい。


妊娠初期にNT(超音波画像にうつる赤ちゃんの首の浮腫、この厚さと先天性疾患の有無に相関関係があるといわれる)の指摘を受けたことが思い出された。(NTの指摘を受けた日の気持ちと先天性疾患を調べるかどうかという葛藤、国立成育医療センターに行った日のことについては後日後述。)


やっぱり何かがあるのだろうか。


でも、どんどん大きくなるお腹を抱えた私は、赤ちゃんの胎動を毎日感じながら、出産のその日に向けて、わくわくしていて、産後の生活を想像しては、にこにこしながら、準備に忙しくて、NTを指摘されたころの平らなお腹をさわりながらつわりに苦しみながら突然命の選択を突き付けられたあの日の私とは違っていた。


確実にお腹の中の私の赤ちゃんには個性があって、話しかければ、元気よく蹴ってくれて、ごはんを食べれば、眠りから覚めたのか、グニュっと動いてくれて、とにかくもうすでに可愛かった。何を言われてももう産むしかないし、いたって元気そうなこのお腹の中の人が愛おしくて、もうすぐ会えるねって話していたところに、もう一山あるだなんて、まったく予想していなかった。NTと切迫で十分に’いろいろあった’妊娠生活だったのに。


医者たちが何かを見つけたと言ったとき、現実感がなく、私は、言葉を飲み込んだ。

初めて脳の左右差を指摘されたあの日、診察室から外にでてきた暗い顔の私を見て、どうしたのと母が言った。うん、ちょっとね、と私は言った。


超音波写真を見るのを楽しみにしていた母に、なんか、紹介状書かれちゃったと言った。

どうしたのとさらに聞かれても、なんといっていいか分からなかった。


なんか、画像ちょっとおかしいんだって。かーくん(旦那)に今メールするからちょっと待ってね、と言って、目を白黒左右に往復させながら、メールを打った。


まだ顔を見もしない孫にぞっこんの私の母に何もうまく説明できる気がしなかった。