『水子供養?』

実家に帰ったら水子供養の御札があった。

どうやら私には兄か姉がもう一人いたらしい。


『墓場まで、あなた達には言わずにいようと思ってたんだけど…』と母は言った。

それならば食卓から見える位置になぜ置くのか。


『あなたが一番摂食障害でつらい時期に、水子供養に行ってきたの。供養をちゃんとしてあげてなかったから。』




………

私がご飯を食べられなくなったのは、2022年の春頃だろうか。

ダイエットにのめり込んだ。

自分の追い込む性格が相まって、頑張りを認められなかった気持ちが、体重という数字で報われたような気がした。

食事を制限すればするほど、筋トレをすればするほど、頑張れば頑張るほど、みるみる体重は落ちた。

いつしか何も食べられなくなった。カロリーや糖質の表示をみては、口に運べなくなった。

3日間水だけで過ごして挑んだ会社の健康診断は、手は震えていて、血液検査の血も抜けず、看護師が集まる中、一人だけ倍の時間をかけた。


体が栄養を欲している、このままじゃ死ぬ、でも食べたくない…そのジレンマに揺れて毎日泣いていた。

苦しい毎日だった。そして、拒食から、食べたものを全て吐く過食嘔吐に移行した。


過食嘔吐になっても、全て吐くので体重は落ちた。

160cmで34kg。

骨がベッドにあたり、床ずれをしていた。

この頃は髪の毛はごっそり抜け落ち、排水口に詰まっていた。毎日フラフラしていて、意識も朦朧としていた。

明日は来ないかもな、と思いながら眠りについて、

朝起きたら、まだ生きてるんだ、と

また今日が始まるんだと絶望だった。

そんなどん底を過ごした、2022年の夏だった。


2024年の今、たいぶ症状は良くなった。

私自身が自分と向き合い、

環境や心を、整え続けた結果なのだ。

でもまだ、完治はしていない。

しんどいときもたくさんある。


……

摂食障害は心の病気である。

必要食事量を接種できない。

食事量をコントロールできない、

うまくご飯が食べられない、

痩せたいと思う、心の病気だ。


どうして食べられないんだろう、

どうしてそこまで痩せたいのだろう

とたくさんたくさん考え、悩んできたが、

ちゃんとしなきゃ

それが私の心の奥底にいつもいる。


私の痩せたい理由は

ちゃんとした人だと見られたい

恥ずかしい人には見られたくない

痩せていて、身なりもちゃんとしていることは

だらしないと思われないこと


なぜそこまで、私が他人の目を気にするのか。

自己肯定感が低く自信がないのか。


それは、

だらしがなく、自分勝手で、それを悪びれもせず、

迷惑をかけているとも思わない兄を

兄妹として、家族として、受け入れなければならず、

とても恥ずかしい思いを自身がしてきたことが一つの要因ではないか、と思っている。


誰かが私で、私と同じ恥ずかしい思いをしないように、

人様に迷惑かけないように、

協調性が乱れないように、

私の人生は常にそれを考えてきたと思う。



私の兄はもうすぐ32歳になる。

高校受験失敗、大学受験失敗、

就活して新卒の会社を3日で辞めてニートになり、

なんとか今の会社いるらしい。

髪の毛は肩まで伸ばし放題で、無精髭を2cm、

当時から15kg以上太っているのに、10年以上前のパツパツの服を着て、そこが抜けそうなサンダルで千葉から茨城に帰省する。

そして、箸が32歳になるまで持てなかった。

これらを指摘すると、お決まりの一言。

『これのどこがまわりに迷惑かけてんの?』


こんな兄と、対称的な私。

そんな兄を見て、苦労している母と父を見ていたし、

私だけはちゃんとしようと思って、

受験も就活も頑張った。

ちゃんとしようと必死だった。


正直、兄の事は恥ずかしかった。

なぜ、そのような格好で歩けるのか。

羞恥心や他人の目は気にならないのだろうか。

変えようとはしないのか。変えたいとは思わないのか。変わりたいとは思わないのか。

悔しくないのか。怒られるのは嫌ではないのか。

不思議だったし、疑問だった。



同じ家族として、ちゃんとしてよ、髭くらい剃ってよ、髪のくらい、、、と思っていたし何度も言った。

人生のことも。悔しくないのか。変えたくないのか。変わりたくないのか?そのままでいいの?

何度も問いかけた。

なにがいけないの?と言うだけだった。


母も散々兄に言ってきたらしいが、

何故か諦めたような感じもあった。

あれが兄だから、と。

あの格好は兄らしさ、では一切ない。

ただの兄の怠慢なのに。



しかし最近、箸の持ち方を32歳になって、

母に言われて治したらしい。

箸を持つことは、5歳児でやる必須教育だと思うので、

それだけでもなんとも情けない話であるが、

嬉しいのか、自慢気に

『お箸持てるようになったぞー!』

と私に報告する兄。それを見守るような母。




なにこの地獄は。と思った。




私の人生ってなんなんだろう。

ちゃんとしなきゃ、と思っていた人生だった。

その裏返しは、父と母の笑顔が見たいからだった。

兄のことで怒ったり喧嘩している姿は幾度となく見てきた。泣いてる姿も。

私がちゃんとすることで笑顔になれるなら。

そう思って生きてきた。


それを母や父に言葉で伝えてきたが、

父や母は

『小さい頃から、あなたのことは認めてきた』

『頑張りはみていた』

『じゃあどうすればいいのか』

『あなたがそう思うんならそうしかない』

『全部わたしのせいなんでしょう』


この言葉しか返ってこない。

議論ができないのだ。

これらの言葉は解決の言葉ではなく、

小手先の回避の言葉なのだ。


私の死ぬほどだった叫び、

摂食障害という叫びは


『私達は認めてきたのに、

あなたが認めてもらってないと思うなら

しょうがないね』


と私の考え方の歪みのせいだけで、

起きてしまったことなのだろうか。

水子を供養しなかったことが原因だろうか。



私は家族に、寄り添ってほしいだけなのだ。

水子を供養してないからなわけない。

何にも関係ない。


私はちゃんと生きている。ここにいる。

その私の兄か姉かが、

地獄の淵からきっと救ってくれたから今生きている。

生きている私に寄り添ってほしい。

私が辛いこと、しんどいと思ってることから

目を背けて何かのせいにしようとしないでほしい。

娘だ娘だと言うなら、親として、どうしたらよいか

必死に向き合い、考えてほしい。



友達の結婚式が最近あった。

とっても素敵な式だった。

最後に親への手紙があった。

感謝の綴られた、とても丁寧な手紙だった。


自分が式を挙げるなら。

私は娘と、娘の病気と向き合わずに、

そして自分たちと向き合わずに

何かのせいにしている家族に、何を書くだろうか。


この文章を書いても、きっと理解してもらえない。

何度も何度も、伝えているが、

私の親は、伝えても伝えても理解ができない。

暖簾に腕押ししているようなのだ。



それでもやっぱり、わかってよお母さん、と

思う気持ちが消えないのは

家族なのだからだろうか。








終わり