芳村思風一語一会 vol.3368
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心とはなにか
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人間の本質は「心」です。
近代は、人間の本質は理性であると考えられ、本能である私を、
いかに理性である私がコントロールできるかが大事であるとされてきました。
その結果、したいことができず、自分を抑えてしまうということになっています。
心とは何か。
科学的には「心とは脳神経の働きである」とされ、
宗教的には「心とは神が人間に与えたものである」とも言われています。
また動物や植物にも心があると考えて、植物に美しい音楽を聞かせると、
成長が促進されて、たくさん花が咲き、よい実がなるとも言われます。
このように現象的には「心」の働きと思われる事実は数多く語られています。
しかし「心とはなにか」「心の本質とは何か」については全く解明されていません。
学問的に解明されない理由は、二元論的人間観に拘束されているところにあります。
二元論というのは、原理的本質的に異なる要素が統合したものとして存在を理解する方法です。
霊魂と肉体の二元論、心身二元論、理性と感性の二元論、精神と物質の二元論などです。
二元論的人間観では、自分の中には理性としての私と
肉体としての私が存在するという意識を作りだします。
肉体に存在する本能や欲求としての私と理性としての私という2つの私が自分の中にある。
理性としての私によって本能としての私を支配し、統御しなければならないと考え、
自分の中に理性と本能、欲求、感情の対立構造を作りだしてきました。
これが抑圧構造から生まれるストレスやノイローゼの原因です。
自分はひとりしかいません。
二元論的人間観は、自己分裂の人間観であり、古い人間観です。
「私」とは感性の実感や本音であり、
人間は感性と理性と肉体という3つの要素が有機的に結合した命です。
感性が、理性と肉体を統一し、有機的に結び付けているのです。
これが「人間の本質は、心である」という感性論哲学の一元論的人間観です。
心は感じるものであり、心の本質は感性です。
「心」とは何か。理性は心ではありません。また感性だけでは心はできません。
人間は、感性と理性と肉体が有機的に統合されて成り立っている命です。
人間らしい心も、感性と理性と肉体の有機的相乗効果としてでてくるものです。
肉体的体験として人間どうしの様々な対立が発生します。
感性はそれを不快と感じ、何とか快い人間関係にしたいと願います。
感性は本来、できることならみんなと仲良くしたいという欲求を持っているからです。
近代資本主義社会では、権利を主張しあい、競争を原理に成長し、
与党と野党、会社と組合など対立構造を作りだし、
勝つことを目的とすることが多くありました。
感性は、決して対立したいという欲求は持っていません。
人間は理性を使って、どうすれば対立を乗り越えることができるかを模索し考えるのです。
この理性の使い方が「心づかい」です。
理性を使って、より良い方法を考えることは、物ごとの「意味や価値」を考えるということです。
心とは、意味や価値を感じる感性なのです。
だから人間は、意味を感じるとヤル気になり、価値を感じると命が燃えるのです。
感性と理性はバランスではなく、有機的な協力関係をつくることがたいせつなのです。
「風の思い」
~芳村思風 46の言葉~より
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・
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思風庵哲学研究所