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人材・人財教育から人物教育へ
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“教育は、国家盛衰の要であり、企業昇沈の因、一家存亡の鍵を握る大事業である”
現在の世界における学校教育の目標や基本は、能力主義です。勉強さえできれば、あまり人間性は問われません。
資本主義経済社会においては、人間は人材や人財と考えられ、金儲けの手段として考えられています。
人間の本質が理性であると考え、合理的に物事を考える理性能力を成長させることが、人間の成長とされてきたからです。
頭がいい人が、イコール人間性が高いとは言えません。
人間としての努力の対象を、理性能力や金銭・物質において、その力で人間を評価してきました。
基本的には、西洋には人格を成長させるという意識は存在しません。
近代は、科学技術文明発達によって物質的に豊かになり、便利にはなったけど、幸せになったとは言えません。
「スマホができて便利になった」とは言われるけれど、「スマホができて幸せになった」とは言わないからです。
最近では、あらゆる場面で人間の品格が問われ、人間性の劣化が憂慮されています。
「人間の本質は心。感性です。」
うつ病などの精神的な病気が増え、人間性の破壊、また環境の破壊が進み、多くの人が
「理屈ではない、心が欲しい」と叫んでいます。
心をあげるとは、どういうことかについても考えてみてください。
(「心をあげる」については明日のメルマガで)
東洋では、能力よりも人間性において秀でた人を尊敬する気風があります。
金銭や物質的豊かさより、人間的成長を目標に努力する生き方が評価されてきました。
華道や茶道といわれる「道の思想」とは、人間のすべての行為の目標を「人格を鍛える」
「人格を成長させる」ことにおいています。
「人間学」という言葉も最近よく雑誌などでも取り上げられてきました。
今後は、経済活動も「人格を磨く」ために行われる「人格主義経済」となり、
教育も手段となる人間をつくる人材教育から、
人間そのものを最高の価値と考える「人物教育」が必要となってくるのです。