今回は少しばかり真面目なお話。
受験生でも就活生でもない私が最近になって現代史や歴史を学ぶことに興味を覚えている。
というのも大学時代はキリスト教系の大学に通っていたのでキリスト教に関する授業は一通り受けてきた。
だが当の本人は全くの無宗教でおばあちゃんの家に仏壇があり、お正月には近所の神社に初詣をする位のものである。
だが世界各国で宗教と言う一見目に見えない信仰が原因で、様々な事が起きている。
今までそういった話に恥ずかしながら全く地人事というか無頓着で生きていきた私は、ニュースでガザ地区の紛争が続いているなどと言われても何が何だか誰と誰が対立しているのかサッパリといった感じで恥ずかしいことだったと思う。
社会人になりもう一度今の現代で起きていることを学び直してみたいと思い1番初めの入門編としてかの有名な池上彰先生の本を手に取った。
中東問題を過去から現代まで非常にわかりやすく伝えてくださり私のような現代史や歴史にド素人の私でも、ほぉそういう事だったのかと知ることの出来るものだった。
そもそもカナダに留学をしていた時に人生で初めて宗教と言うものに触れたといっても過言ではなかった。日本にいると強いて言えば仏教です、トイレにも神様が住んでいるみたいで、先祖も神様のような守り神で。と言うような【神様】と言うと私の中では全くぼやけたような存在であったのである。
チケットの当選日に『どうか、神様お願いします!』何てしょーもない神頼みを行なっても、そのお願いしたい神の姿さえ描き出せないようなそれぐらいのものであった。
留学先は非常に多くの人種にとんだ学校だったので、様々な宗教を実際に目で見る事となった。
とりわけ目立つのはイスラム教徒の女性で
アバヤという黒いドレスに身を包み、目しか出さない【ニカブ】という姿を見て、初めて異文化を見たような気になり、色々な興味が湧いてしまう。
食事はどうするんだろう?苦しくないんだろうか?黒以外もあるのだろうか?
クラスメイトにも5人イスラム教徒の女性がいた。失礼だが名前の発音が難しいのと、見た目の判断が難しく、暫くしてようやく誰が誰だか目だけでも判断出来るようになり、
日常の会話もごく自然に出来るようになった。
だが、どこまで聞いてよいのかがサッパリわからない。
苦しくないですか?と聞いたら怒られたりするんだろうか...
様々な人種の生徒がいる中で、国の事は聞けても宗教の事となると自分が無知すぎて、相手からすれば冒涜的な失礼な事を発してしまい、大変な問題にでもなったら困ると踏み込めないでいた。
イスラム教徒の生徒たちはお昼休みになるとiPhoneでサウジアラビアにあるイスラム教徒の聖地メッカの方角を探し、布を敷き、額を床に付けてお祈りをしていた。
iPhoneで方角を見ているとは、何とも現代的。そしてそのお祈りの姿が何というか神秘的で、余計に私をどこまで聞いていいのか問題に直面させた。
ある日、私が遅刻をして恥ずかしながら学校のトイレで化粧をしていた時。
同じクラスメイトのイスラム教徒女性が入ってきて、化粧品はどんなのを使ってるの?と声を掛けてくれた。
彼女はあまり化粧をする習慣が無く、私の化粧ポーチの中身を一つ一つ興味深そうに眺めていた。
私はメイベリンのウォータープルーフのマスカラが泣いても取れない事を力説しながら、今だ!と踏み込んだ。
『もし、気を悪くしたらごめんなさい。その服装は苦しくない?ずっと付けていなければいけないの?』
すると彼女は、
「夏は暑いわね!でも慣れてしまったから苦しいとは思わない。家族以外には顔を見られてはいけないの。だから外出先はずっとこうなのよ。そうじゃないと天国に行けないの。」
最後の一言は、英語を習いたての私では聞き逃してしまう程、ソフト言い回しだった。
でも彼女は確かに『天国に行けない』と言ったのだった。
今年になり、ベルギーやノルウェーでは
イスラム教徒の女性が顔全体や一部をベールで覆う衣装「ニカブ」などの公共の場での着用を禁じる法律を支持する判断を下したそうだ。
このニュースを聞いて、彼女の言葉を思い出した。
この先、東京オリンピックが行われて日本には様々な人種が訪れる。
私達の生活の中でも、宗教や異文化に対面する事も多くなる事だろう。
その時に少しでも誤解なく接していきたいと思う。
【池上彰の世界の見え方 中東編】
とてもわかりやすい上に、私が芸能時代に散々お世話になった 小学館 刊行ときている。笑笑
是非とも私のような入門編の方にも、お手に取っていただきたい。