今回伺った【田中家】さんは
東海道神奈川宿で唯一現存する料亭なんです![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
神奈川宿とは?![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
城下町の小田原と開港後に人口が増加した横浜を除けば神奈川県下で最大の市街地でした。
女将さんが食事の後に、田中家の説明をしてくださいました。
私が歴史が好きで、京都旅行までしている事をお話ししたらとても喜んでくださいました。
女将さんに話を伺うと、坂本龍馬の妻、おりょうさんは、龍馬亡き後の明治初めころ、田中家の仲居として働いていた時期があるのだそう。
龍馬の死後、土佐の坂本家に身を寄せていたおりょうは、その地に馴染むことができず、京都から東京を経て横須賀へ流れ着いたことがわかっていますが、その流転の中で、西郷隆盛 の紹介で田中家の仲居を務めた時期があったと伝えられています。
階段には岩崎弥太郎や西郷隆盛など錚々たる偉人が田中家を訪れていて、
此処に月琴を奏で、外国語も堪能で、物怖じしないまっすぐな性格のおりょうが外国のお客さんに評判だったという逸話も面白いです。
今やビルに囲まれ、一軒しか残らない【神奈川宿】。
女将さんは、ここが4.5件でも残っていればと
悔やんでいらっしゃいました。
横浜の開発の仕方も、こういう歴史に視点を当てていれば違う見せ方が出来たでしょうね。
みなとみらいは観光スポットとして全国的に有名になっています。
赤レンガ倉庫ではオクトーバーフェストや、クリスマスマーケットが行われ、
ワールドポータースの中はハワイアン一色です。
神奈川宿が残っていたら、此処は第2の京都くらいになれたのでしょうか?
無くなってしまった今。
そんな事を言っても仕方ありませんが
壊す事の簡単さ、続けることの難しさを学びました。