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町を歩いていると、家の部分に赤い旗のような布がかけられているのを見かけます。

これは中に遺体を見つけたという印です。

他にも場所によっては

今回政府が特別に所有者の承諾がなくても、がれきの撤去をする事を認めているため、

それでも所有者の「承諾なし」に撤去するのは忍びない。という自衛隊の方々の考えで

赤→自宅ごと撤去
黄→自宅を残してがれきのみ撤去
緑→そのままでよい

という印になっている所もあります。

自衛隊の方々がそこまで考えて作業をしてくださっているのは、感激します。


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この↑線がついた所が津波の跡です。

私の身長が172センチあるので、2メートル弱の水位だった事がわかります。

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そしていたる所で、ブルドーザーを見かけます。

土砂の撤去をしているのですが、もちろん人間がやるよりも早いです。

でもこの土砂という物は、この地域の方々にとってゴミではありません。大切な宝物です。

それを、分別つけずに土砂として扱ってしまうのは、地元民じゃない私からしても悲しい光景でした。


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私が現地の方々とお話して思ったのは、ボランティアの人に対して本当に申し訳ないという気持ちを強く持たれているという事です。


実際私たち20人で、小さな公園1つ戻せたんです。

これを小さい事と感じるか、すごい事と感じるかは人それぞれだと思いますが、

私たちにとっては「被災地で可哀想」という考えでも、

ここの住民の人達は「大好きな故郷」なんです。

そんな故郷を私たちの手で少しでも、震災前の状況に戻すお手伝いがしたいという思いで作業をしていました。


地震。津波。と、本当に事細かに状況を話してくださるおばちゃんに

「つらい経験なのに、どうして私たちにお話してくださるんですか?」

と聞いたら

「今、いつ首都を直下型の地震が襲うかわからない。その時に首都にボランティアに行けるほど若い人が地方にいないでしょう。その時、あなたたちは自分達の手で復興しなければならない。それなのに土のうの結び方もわからない人だらけじゃ困るでしょう?ここを見て色んな事を学んでいきなさい。地震の時の最善の対処法。津波の被害。そして住民の苦しみ。すべてを学んで後に活かしなさい。」

とおばちゃんは言いました。


私はこの言葉が心に深く突き刺さり、涙を抑えるのがやっとでした


毎晩、あの日に「助けて助けて」と叫んでいた誰かの声が頭の中でこだまし、

身体中の血が震えるような感覚に襲われ、

死体に溢れた町を片付けた一週間を思い出し、

家には扉も、物も、思い出の品も全て流され、何もなく、この先の見通しもたたない。

義援金もまだ正式に支給されず、半壊の人という扱いで全壊の人より後回しにされてしまう。

ほぼ毎日の余震に恐怖を感じ、我々ボランティアに頭を下げ、報道陣の無責任な行動に悲しみ、

小さな町を復興しようと手を貸してくれているボランティアに、自分達が出来る事は料理を作る事くらいだと、ふるまってくれる。

私たちを孫をみるかのように優しく接し、多くの事を語ってくださいました。


今。私たちの世代が絶対に被災地に行かなきゃいけないと思う。

今、大人は私たちを食べさせるために働いてくれてる。

大人に時間をとって行けっていうのは現実的じゃない。

それより一日遊ぶ暇があるなら、被災地に行ってほしい。

放射能や粉塵、病気などニュースを通して感じた被災地に行こうとしない人達がいるのも良くわかる。

でもいつ私たちが同じ立場になってもおかしくない。

明日かもしれないし、10年後かもしれないしそれはわからないけど、

次の世代に伝えて行かなきゃいけない真実を。

私たちの目で見なければいけないと思います。

正直。復興までは20年はかかるでしょう。

そこで自分に何が出来るんだって考えるんじゃなく、

誰かがやらなきゃ変わらないし、実際に知らなきゃいけない。



大津波警報を住民の人は知らなかった事。

警報が出ている事を知らずに、海に向かって行った人がいる事。

避難場所になっていた場所が跡形もなく津波にのみ込まれた事。




メディアが遮断された場所では、自分達の危険さえもわからない。

今ラジオがある家なんて珍しいくらいの時代になってしまいました。

電気が消えテレビが付かなくなった途端。

何の情報も無くなってしまったんです。

この情報の伝達力の遅さ、警報音もならかった事実。


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津波を観に行った若者も多かったそうで、それでお孫さんが行方不明のままの方が多いそうです・・

2010年チリ地震で大津波が来ると言って、海面上昇だけだった事がこの被害を大きくしました。


今回ボランティアに行って私は本当に多くのことを学びました。

私の世代の時にこの大地震が起きたというのは、我々の使命なのだと思います。

またボランティアに行きますが、少しでも一日でも早く景色を変えたい。

茶色い町じゃなく、田んぼで穂が揺れ、綺麗な海に海岸で子供達がのびのび育つ環境にしたいです。



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東北の人。本当に頑張っています。

頑張ってくださいなんて言いません。

一緒に元に戻しましょう。

おばちゃん。死ぬまでにもう一度見たいなんて言わないで、

孫に大曲海岸で遊ばせてあげる為に全力で直します。

このブログを見ている皆さん。

お願いです、力を貸してください。

一日でも半日でもいいんです。

ボランティアに行ってください。

「出来る時に、出来る事を、出来るだけ」

やってください。

自然がいっぱいの東北に戻しましょう。



私の感じた事を、ありのままの言葉で書きました。

このブログに不快に思われた方などいらっしゃるかもしれません。

それでも私は事実を伝えたいと思い書きました。

このブログを見てボランティアに1人でも多く行ってくれたら、それが私の本望です。