いままでさんざんやっていたようでやってなかったこと。
それは、冷静に真剣に、彼のことを考えるということなのだ。

これまでのカタワレとしてのわたしは、まるで感情的
愛しているのか愛されているのかなどに重きを置き、ツインレイ概念に重きを置き、使命に重きを置き、手放しや課題のクリヤーに夢中になることで自分を守ってきた。保ってきた。

いわば、【自分のことしか考えていない状態】である
この点は、カタワレ彼のほうがずっと冷静な部分を持ち合わせており、相手のことを考えるのも得意。

相手に対してのどんな行動もいままでの我慢も、わたしがわたしを一番に考えるからこそのものだった。
それは悪いことではないが、
結局すべてが【自分のため】なのである。

自分のために生きることは、自分中心さを保つことがすべてとは限らない

ここらへんはチャクラのバランスも関係しているところだが、冷静に相手のことを考えることも人生に、特にパートナーシップにおいては大切なことなのだ。

もちろん大前提として、女性は愛されていればそれでいい。
でもそこで、愛に自信のなさが暴走し、自分しか見えていないのはわたしの羅針盤とは合わないのだ。
つまり、他人との調和、バランス。
つまり、カタワレ彼との調和、バランスをとること。

それは見えない世界の共同作業であり、ここへきて冷静に相手を理解するということ。スピリチュアル的感情的に知るということも大事だが、人間関係としての彼の大切にしたいことを知っていくこと。

ここが、大人の愛と子どもの愛との違いなのかもしれない。

大人の愛は【我先にの実践】
つまり、見返りや損得なくきちんと与え、見守ったりを調整できるということ。

カタワレである以前に人なのだ。

続きます