わたしのカタワレはこじれた感情をもっている。

その部分をスピのひとにみてもらったら
【御縁があればここまで悪いものは飛ばしてこないと思う】
【今後のあなたにはもう不要だと思う】

と、きっぱり指摘された。
でもいまのわたしは、その言葉を受けたうえで、自分の本心として考える。

【霊的御縁はあった】
【でももう彼のことで頭がいっぱいという時期は過ぎている】
【ここからはとことん、引き続きになるが自分の本心と向き合うしかない。】

なにせ、相当にカタワレの意識に侵食されている状態のワタシ。 
少し前にわたしの自我は消失して空っぽになり、そこが器のようになった。
そしてそこに、カタワレの意識がどんどん、入ってきているのだ
もちろんコントロール欲も存在している。

でもそれでわたしがカタワレを表現したような人間になってしまっては、
愛は注げない。
わたしにとっては、カタワレの愛情が欲しいとはもう思っていない。

もっともっと自然な状態をもとめているんだ。

これだけのエネルギーをわたしに飛ばしているカタワレは、生きているのに精一杯だと感じる。
わたしにできることはなにもない。
あるとしたら、やはり自分の足でたち、とにかく精神的に自立していくことなんだ。

そしてわたしは精神的自立をほとんど果たしているのだが、カタワレによってそれを妨害されている。

カタワレ男性のほうがずっと大変。恋愛感情もしっかり持っていて、周りにはクールで充実しているふりをしているからいつまでも鎧をぬげず、弱音の吐きどころもなく、社会的なものを捨てきれず、もがいている。

なぜカタワレに完璧を求めてしまったのか。

私が生きているだけでいいはずならば、カタワレだって同じことになる。

綺麗に生きれるはずがない。

時間がかかる、、、かかって当然なのだ。

いまのわたしは頭では彼を必要とはしていない。
寂しいけれど、それは本心。
日々変化していくので、いつも言うことが変わっていくのは、もし讀者がいるのなら少し申し訳ないが、それがわたしなのだ。