hspにより気が付かなかったこと→内面の癒やしが進んでるということ。
外側ばかりキャッチして疲弊し、見えなくなっていたものがみえてきたいま、カタワレ関係の癒やしが進んでいるという事実もみえる。

解が見えなくて不安になったこともあったし、人生そのものの解も見えずにあたふたした。
→見えなくて大丈夫、だった。
なんでなら、わたしはいまここのわたしにしかアクセスしていないということ。

ほんとのわたしはそうだったけれど、頭としてはほんと外側外側に意識が向き、あっぷあっぷしていた現実。それも昨年までの流れ。

あっぷあっぷしなくなるには、静かに自分を見つめることが必要だった。
長年彼の気持ちがわからず、暗い海をさまようようにいた。葛藤してきた。損得勘定に支配され、彼に愛されるためならと自分を変えていくということもやった。
でもそれは、ほんとに本末転倒。

どんな言葉を紡いでも、どんな自分に変化しても、それは満たされることのないものだった。
じゃあ今は??→彼の本心を知り、わたしは、、、わたしの根底は1ミリも間違えてなかったと知る。そして、恋愛的な追いかけは無意味だったと知った。

彼からの連絡など永遠にないだろうとジャッジをしたわたし。それはとても強い強い頭での思い込み。いまでは、そんな未来もあるのかも?ないのかも??それでもわたしは変わらない、ということ。

これだけひとりぼっちになり考えて、純粋な立ち位置に戻ることができた。
ここへきて必須だったように思うのは、母親関係の癒やしだ。家系の癒やし。

わたしはエンパスだ。母親といると、母親の不安をそのままキャッチし、疲弊する。赤ちゃんのまんまだね。でもそんなことももう潮時に。母親と、見えない繋がりの世界で静かにコードを切った。そこから、発したい言葉を発するようになった(ほんと少しずつ)でもね、母に解ってもらおうとは思ってない。自分のことは自分が立証してゆく。夫でもなく、男でもなく、カタワレでもなく、わたし自身。

なんでも人間関係。自分が自分でいられるのなら、わたしはもう大丈夫みたいだ。

5年無職だった主婦が思い切って勤めたパート先。それこそ、なにもかもスムーズで平和にもかかわらず、わたしはなにかに怯えていたように思う。パート先はひとつの指針となる。わたしはもう、癒えるものが癒えてる。なので、パート先は平和でしかないんだろう。おかしいなってくらい、変な人や攻撃的な人は現れない。(笑)これからも、それはないだろう。

「あなたにとって内観は無駄。好きなことするよりも、なにかしらで働いてゆくこと。」→これはわたしにとってパワーをもつ人物である姉の言葉だった。そうかな、果たしてそうかな??わたしは経済的自立をしようとしている。それは、姉の人生ではない。わたしは幸運体質だったということ。

カタワレとは、サイレント期間に何度か再会をした。嘘みたいにときめかなかった。それどころかネガティブな念を飛ばされ、いまも飛んでくることもあるけれど、そんな彼にいきがって追い打ちをかけたのも事実だし、、、 わたしは彼のことを大切にしてこられなかった。
いつも自分都合で動いてきたし。わたしはわたしだ。いまは良い意味で、そう、区切ること。

ここへきてもまだ、わたしのなかには損得勘定が残っている。でもそれも手放してくださいの合図。
これからは時代に安心感を抱いていいと思う。これまで生きづらかったものも、溶けてゆくだろう。って、わたしは思うよ。
でも、お金にしろツインレイにしろ、不安な集合意識っていうのはいつもあるから。そこから、一歩抜け出して、自己表現をする。

救われないわたしを知ったときは、もうどうにもならないと思った。だからこそわたしは息を葺き替えしたのだが、、、。

hspのツインレイさん、この時代は大変なことも多かったと思うが、キャッチするものを変えたらいい。変えることができる。そこには冷たさも大切。静かに縁を切ることだ。物理的に切らなくてもそれはできる。

豊かさはわたしの根底に常にあった。この源泉に、気がつくのもまたカタワレだろう。
ちょっとカタワレ彼の話をする。
いま弱々しい波動を放つカタワレ。表面的には安定と充実をみせているが、内心はとても大変だったのがわかる。
でもそれも一過性のもの。

明けない夜はない✨

続きます。