二人芝居『ふぁいと!~大原騒動~』無事終演。ありがとうございました☆ | 藤澤志帆の半分くらいがちょうどいい。

二人芝居『ふぁいと!~大原騒動~』無事終演。ありがとうございました☆

こんにちはぴよ

 

二人芝居『ふぁいと!~大原騒動~』

無事に全公演を終えることが出来ました!

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3週間の高山滞在。

稽古、そして本番と一気に駆け抜けました。

 

 

今回「おかよ」役として迎えてくださった飛騨歴史劇製作委員会のみなさまに感謝です。

 

 

 

大原騒動。

みなさんはご存知ですか?

 

これは江戸時代に飛騨で起きた百姓一揆で、明和騒動・安永騒動・天明騒動として約18年間続いたものです。

今回のお芝居では、大原騒動のうち安永騒動の中でのお話でした。

 

安永騒動とは、1772年~1780年に起きた騒動のこと。幕府の命令により、新しい検地が申し渡されたのですが、この頃の飛騨国代官、大原彦四郎は、古い田畑まで厳しく検地を行うと当初の約束と違うことを強行しようとします。そうすると農民達の暮らしは苦しくなるばかり。そこで反発した農民らは、江戸へ代表を送り直訴を行います。しかし、かご訴を決行した大沼村久左衛門らは捕らえられ、5人が牢死、6人が獄門となります。その後の大原代官の行為に反感を持った農民らは、飛騨一ノ宮水無神社に集まり、大集会を開きます。しかし、その集会も武力で鎮圧され、多数の死傷者が出ました。

 

この集会で頭取のひとりとなった本郷村善九郎。彼は若干18歳でした。この騒動の指導者として、獄門の刑に処させれます。

今回のお芝居は、この本郷村善九郎と、彼を支えた妻、おかよとの物語として描かれました。

 

私が演じた「おかよ」。おかよについて詳しく書かれている資料はほとんどありません。唯一残されているのは、善九郎が処刑の四日前に書いた、おかよへの最期の手紙です。

 

どんな想いで闘いに行く夫を送り出したのか。

家でじっと待っていたのか。

そんなことをたくさんたくさん考えました。

そして、闘いに行った人たちは何の為に、誰の為に闘いに行ったのか

 

 

物語は紫乃という善九郎とおかよの子供の語りから始まります。

今を生きる人々の象徴として、紫乃も演じさせていただきました。(紫乃は史実とは異なります)

最初と最後の場面でしか登場しませんが、これがまた難しかったです。

 

 

役を演じること。それはその人物の人生を生きること。

20歳だったら20年生きなきゃいけない。

そんな役者としての難しさを、あらためて実感しました。

 

でも、今回演出を担当した小平哲兵さんが、常に役者に寄り添い、一緒に考え、悩み、登場人物や作品を深めていってくれたおかげで、より色濃い作品が出来たように思います。

普段は映画監督である哲兵さん、初めての舞台演出に悪戦苦闘、

私も初めての二人芝居に悪戦苦闘、そんな状況にまわりのスタッフも悪戦苦闘笑。

でも、みんなでサポートし合いながら乗り越えて一つの作品が生み出されました。

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高山では、現地のたくさんの方が協力して下さいました。

とにかく高山のみんなは優しい‼︎そして明るい!

すっと馴染めたのは、そんな優しい人たちに囲まれていたからだったからだと思います。

 

 

準備期間から稽古、3日間の本番と、この作品に関わった全ての方へ。

ありがとうございございました。

 

また、今回私をおかよ役として高山へ呼んで下さった中田裕一さん。

善九郎役としても引っ張っていって下さりありがとうございました!

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おかよ、紫乃は私の心の中に。

そして私はまた、次へ進むのです。

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