ちょうど1年ほど前

こんなこと☆☆☆

書いていた。





ぶっ壊す。





とは言ったもののチュー






なにをどうぶっ壊したいのか






それを考え研ぎ澄ませていく

1年だった気がする。






昨日の会

で、ある参加者さんにも

言われて引っかかってた言葉





わたしは、

わからないままやっていることを

わかってやってほしい

んだと気づく。






その言葉がけ

その考えを採用したこと

その行動の理由





たとえば

学校に行かなくていい

言うと決めたこと






あるいは

まずは自分から

まずは自分が笑顔に

決めて、言い聞かせて

いろんな会に参加して

自分を満たすことに専念して

たしかに笑顔になって







でもそこに

その行動の奥底に

どんな打算や思惑や期待があったか





自分を喜ばせることというと

大きなイベントが浮かぶのはなぜか

そのイベントがなければ

自分は笑えないのか

そのイベント以外の

毎日の自分はどんな気持ちで

どんな顔をしているか






お母さんの心からのの笑顔って

どうしたらでるのか







そんなことを

どんなにウザがられても

話していきたい







わかってそれをやってほしい

と思っているんだよね。

ホント、それだけ

わからないでやってることが一番厄介爆笑







私がぶっ壊したいのは

こうするときっと楽になるよ

こうするとうまくいくよ

きっと大丈夫だよ

だって大丈夫なんだよ





という言葉だけ





それすらも聞きいれられない状況の

お母さんたちにただただ

投げかけ続けること






うちはこうしてうまくいったよ

うちはこうして乗り越えたよ

みんなそうだったよ

今の経験も必要なものだよ






という言葉を






そんな言葉を聞きたいんじゃない状態の

お母さんたちにも言い続けること






そして、わけもわからないまま

その考えを採用させること。

どうしてその考えに至ったのかを端折らずに

話してほしい。私はそれこそが知りたかった






そして

自分が目にした耳にした手にしてきた

過程や結果だけを

「うまくいった」

「成功した」

「一段落ついた」

という成功事例だと括って

語ること






あえて言う。






そんな支援ならいらない。




とすら思う。





不登校の理由なんて

ひとりひとり違う





その心が、からだが

家庭が回復していく過程も






正解やハウツーなんて

存在しないと私は思う






ひとりひとりが

見ているもの

聞いているもの

見てきたもの

聞いてきたもの

持っている価値観

親子の、兄弟の、家族の関係

今の子どもの気力や体力、思いこみ

それを取りまく環境

本人が選んでいる情報

親たちが選択している考え方

親たちが採用している価値観

それを取り巻く社会







ひとりひとり、まったくちがう。





家族でも、みんなちがう。







だからこそ、

大丈夫だよ。も

このままじゃダメだよ。も

私はカンタンに言いたくない






人に言われるより

どこかの誰かの言葉より

自分で気づいたこたえが正解だから








だから、私と話さない?






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言うまでなく誰も責めてないチュー
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