皆様こんにちは。

今回はとてもとても真面目なお話をします。長いので覚悟してください。



日本に先駆けて、映画「オッペンハイマー」が、ここオーストラリアで公開されたので見てきました。
この映画は、2005年出版の伝記「American Prometheus」Kai Bird、 Martin J. Sherwin著 をベースに作られています。

監督は、インセプション、インターステラー、バットマンシリーズを手掛けた、巨匠クリストファー・ノーランです。

 

日本人としてこの映画をどう見るか

原爆開発から投下までの歴史を振り返りながら、書きます。

日本語と英語のソースをかなり見漁って記事をまとめました。

広く知られていない史実も交えてありますので、興味深い内容となっていると思います!

 

多少ネタバレを含みますが、

この映画がどういう映画なのかを考察しましたので、どうぞ!

 

 

J・ロバート・オッペンハイマーは、どういう人物なのか。

彼は、ユダヤ系アメリカ人で、裕福な家庭に育ちました。幼少期の頃から頭脳明晰で、ハーバード大学やケンブリッジ大学にて、数学・化学・物理学・哲学・東邦宗教・仏英文学などを学びます*。

 

後に、アメリカ政府が、第二次世界大戦中に、ドイツの脅威に対する抑止力として、世界初の原子力爆弾を研究開発するために結成したのがマンハッタン計画。その研究指導者として選ばれた人物がオッペンハイマーです。

 

因みに、この原爆研究開発の発案をしたのが、ユダヤ人迫害を逃れイギリスに亡命した、ユダヤ系ハンガリー人の科学者レオ・シラード。当時無名だった彼は、アインシュタインを通じて、ルーズベルト大統領に原子爆弾開発を進言し、その開発のきっかけを作りました。シラードは、また後程登場します。ちなみに、この時の、米軍部の原爆計画指導・管理者は、陸軍中将レズリー・グローブスと、陸軍航空軍長官ヘンリー・スティムソン

 

ここで、オッペンハイマーが指導者として「選ばれた」と言う言葉を使ったのは、彼が自ら進んで「原爆を作ろう」と政府に忠言し、指導したのではない、と言うことだからです。

 

この、国を挙げた3兆円のプロジェクトはごく秘密裏に行われ、それぞれの研究部署同士の情報も共有されないというほどの徹底ぶりでした。研究者たちは全体として何の研究をしているのか、知ることは出来なかったということです。ほとんどの研究者たちは、自分が大量殺戮兵器を作っている自覚がなかった、または、実戦用ではないと信じたいと思っていた可能性が高いです。彼らは、正義の念に突き動かされていました。また、科学者たちの平均年齢が29歳といいますから、今の感覚から言うと衝撃です。若い。

 

 

<歴史の話>

少し脱線するかもしれないのですが、ここで、この時代の世界の動きを少し説明します。

オッペンハイマーを取り巻く環境が、どう動いていたかを理解していただければと思います。

 

アメリカはドイツに先駆けて原爆を開発しなくては、と思っていた訳ですが、この頃、ドイツ占領下にあったフランスでの潜入調査による結果により、ドイツでの原子力開発が頓挫していて、今後の再発の見通しもないことが判明。イタリア社会共和国は1945年4月に解体。ドイツは5月に降伏。ドイツに先駆けて、いち早く原爆の開発を行いたかったアメリカは、ここで完成間近の原爆の使い道が分からなくなってしまったのです。3兆円のプロジェクトですからね、正当化しなくてはなりません。

 

ここでアメリカは、日本に矛先を変えます。元々「威力誇示」のために開発を進めた原爆でしたが、しぶとい日本の交戦に遭っていたアメリカは、これを実戦で使用することを考え始めます。

1945年7月、先述のシラードをはじめ、原爆の実戦使用を阻止したい科学者たちは署名を集め始め、米政府に、日本に対して無警告で投下しないように嘆願しますが、これの訴えは無視されます。その訴えは、都市に投下しなくても、どこか違う所に投下して、その威力を縦に降伏を迫るもので十分だ、と言うものでした。同月、米ニューメキシコで行われたトリニティー実験で、人類初の原爆実験が成功を収めます。


そして、トルーマン大統領(1945年4月、ルーズベルトの急逝により急遽大統領になるが、就任時、原爆計画のことを何も知らず、原爆投下を決めた軍部を止めることはできなかった*)政権時代の軍部により、1945年8月6日広島、3日後の9日長崎に、それぞれ原爆が投下されました。因みに、トルーマンは原爆開発の事を知ったあとも、当初から、女、子供など、一般市民を巻き添えにしない方法を望んでいましたが、これは軍部により無視されました。アメリカ政府は、無警告に都市への爆撃を行うことは、世界から、アメリカが、ナチスのユダヤ人虐殺と同等の行為をしているように見られることを懸念してもいました。トルーマンは、広島投下後の演説で、「軍事目標に投下した」ことを強調し、長崎投下後の演説で、原稿にはなかった「戦争の苦難を早く収束させ、何万人ものアメリカ兵の命を救うために原爆を投下した」と言う文言を付け加え、それが、現在に至るまで、アメリカ市民の信じる原爆投下の正当化材料となっているのです。そうでも言わないとアメリカの虐殺行為を非難されることを知っていたからこそ、この「命を救うために原爆を落とした」と言う後付けの物語が生まれたのです。また、原爆投下後も、実は日本が6月には昭和天皇が戦争終結への意思を示していたことを知り、都市への無差別爆撃を後悔していたことが、後の資料により明らかになっていますが、これはあまり広く知られていません。

 

しかし、実際の目的は、それ以上に8月に始まったソ連の日本侵攻により、日本がソ連に降伏して共産圏の属国になってしまう前に、原爆を落とすことで、日本がアメリカに対して降伏し、日本を資本主義陣営の属国にすること、また、近隣の国に投下することで、ソ連に対して脅威を示すことが目的だったという見方が強いようです。
 

上記の史実からも分かるように、『戦争を終わらせるために、日本に投下する目的で原爆を作ろう』と言うことではなく、アメリカの威信を示すために開発された原爆が、外交政策の中でコロコロと目的を変え、オッペンハイマーら研究者たちの成果が利用されたのです。この後、世界中で核開発競争が加速していくこととなります。

 

 

<ここで映画評論に戻ります>

私がこの映画で、酷く心が揺さぶられたのは、後半4か所。

ネタバレが嫌だという方は、ピンクの文字のところまでスキップして下さい!

映画を観た後にまた戻ってきてくださいね。

 

①原爆の爆破実験シーン。数多くの研究者や軍部の人たちが見守る中で、人々が安全な場所からその爆破を見守ります。強烈な閃光、その後に吹き上がるキノコ雲の壮大な映像と、その後に来る爆音と爆風による激しい衝撃波。オッペンハイマー本人による後のインタビューにもあるように「何人かは笑い、何人かは泣き、ほとんどの人は沈黙した」*(原文を下部に表記)。それは、自分たちの何カ月にも亘る研究の成果が実を結んだ喜びや達成感、そして、悪の兵器を生み出し、破滅を世に放ってしまったという畏怖。また、それが投下された時に人体に与えるであろう影響を、理解しているからこそ覚える恐怖。それは、当時のアメリカでは、その実験に立ち会った人間だけが想像しうる恐怖だったのです。

私達日本人は、幼少期から、キノコ雲の下の惨劇を、見て、聞いて、読んで、学んで、知って育ってきました。私たちの脳裏には、強く、強く、その映像が刻み込まれています。だから、そのキノコ雲の下の業火に焼かれて溶けた人たちや、爆風で消し飛んだ人達や、その叫び声を想像できてしまう…それでも、私たちの想像の中の原爆は、実際にそれを生きた人達の経験の、何万分の一にも及ばないことを思うと、恐怖しかありません。この実験シーンの炎を眺めているだけで、それが人に与える影響とその結果を想像して、胸が締め付けられて息苦しくなりました。

<画像:Rare Historical Photos 実際のトリニティーでの実験写真>

 

②原爆投下により日本が壊滅的な被害を受けたこと、日本の無条件降伏を、アメリカ人が「ラジオを通じて」聞き、狂喜乱舞するシーン。研究者たちがその「成功」を聞いたのもラジオです。そのラジオ放送では、人の死は一切見えてきません。映像も、音声も、何もない。大量の日本人が死にゆく中で、レポーターが、日本降伏のニュース原稿を読み上げた時に、人々が喜び喝采しているシーンは、現実との乖離に胸が痛みます。ラジオの声には、現実は投影されません。これは、当時のドキュメンタリー映像を見ても、毎度苦しくなります。彼らの中の「勝利」の歓喜の熱には、自分と同じような一般市民がもがき苦しみ死んでいったと言う想像力は微塵ありません。

 

仕方がないのかもしれません。
原爆投下や日本の敗戦は、遺族やミリタリーファミリーにとっては、

勝利の象徴であり、家族が返ってくる知らせであり、喜びの象徴だからです。

被害者のことを考える余白はなかったのだと思います。

 


<画像:Museum of the American G.I.


<画像:Nora.com

 

③オッペンハイマーが、大歓喜と大喝采の中、アメリカ人の群衆の目の前で、スピーチを行うシーン。実験後、良心の呵責に苛まれ、それは静かに彼の心を蝕んでいます。彼は原爆開発の父としてTIMES誌の表紙を飾り、世間ではヒーロー扱いされています。その狂ったような大歓声の中で、彼は爆破実験で受けた地鳴りや衝撃波や熱気を、観客に重ねて見てしまいます。この会場にいる、ごく普通の一般市民が、一瞬で原爆により消し飛んでしまうイメージ。溶ける皮膚、地面に転がる焼け焦げた死体。やはりそれは、実験に立ち会った彼にしか想像しえない風景です。

<画像:Restricted Data, The Nuclear Secrecy Blog by Alex Wellerstein >

 

④原爆投下一か月後に、研究に携わった人たちがその「成果」報告を受けるシーンです。オッペンハイマーをはじめ、会場にいる人たちは終始目を背け、うめき声をあげます。スライドショーに何が写されているのかは、日本で育った私たちには、想像に難くありません。

 

 

この映画には、原爆投下後の日本における残酷な描写がありません。


ここで被害者たちの映像を写さなかったのは、この映画が「アメリカは酷い、オッペンハイマーは悪魔」と言う単純な意図を伝える『反戦映画』ではなく、原爆の『悲惨さ』を訴える映画でもないからだと思います。そういった映画は他にあります。残酷描写を画面写してしまうと、そのインパクトが強すぎて、アメリカ国民に罪悪感を持たせる意図を持ってしまう。また、原爆投下を今だに正当化する一部のアメリカ人から嫌厭されるでしょう。

この「成果」報告を、直視できない科学者たちの表情を描写することで、それ以降興味がある人は、自らネットで検索して画像を見ることでしょう。飽くまでもこの映画が、「政治利用された科学者達のジレンマ」にフォーカスするためです。この研究に携わった科学者が抱える「成功とは何なのか」と言うことを、観客に問いかけることに意味があります。あなたならどうするか。このジレンマを焦点とし、それがブレないようにするためには、かなり賢いシナリオの組み方だと思いました。

 

直接的に原爆を実戦使用することも、日本に投下を決めたのも、オッペンハイマーではありません。一時は国のヒーローともてはやされた彼が、共産主義者とのつながりを疑われて、原爆開発後に、非公式の政府の尋問により、セキュリティ・クリアランス(安全保障などに関わる機密情報にアクセスできる資格者を政府が認定する制度)の更新を拒まれ、その後、プロジェクトから排除されます。

 

 

 

彼はその能力をただ国益のために、利用されたのでしょうか。

彼は利用されたと感じていたのでしょうか。

 

そうであるとしたら、この十何万人もの死者に対する罪悪感は、

どう処理すればいいのでしょうか。

 

彼を責める権利が私たちにあるのでしょうか。

責任の所在はどこにあるのか、あなたは明確に答えられるでしょうか。

 

"Mr President, I feel I have blood on my hands..."
大統領、私の手は、血塗られているように思います…

 

 

 

この映画では、この一連の研究が、彼の余生に及ぼした影響と彼の複雑な感情が繊細に描かれています。そして、視聴者にその後の判断をゆだねる映画です。この映画は、考えるきっかけを与える映画であって、明確な作り手のメッセージを伝えないことこそに、意味があるのだと思います。

 

 

 

最後に、オッペンハイマーのインタビュー動画を紹介してこの記事を終わります。

英語が分かる人は是非見てみてください。

 

「1965年 ロバート・オッペンハイマー 原爆は必要だったか、について」

 

 

 

まだ観ていない皆さんはこの映画を観たいと思いますか?
もう観たよ、という皆さんは、是非感想を聞かせてください。

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四日かけて書いたので、頑張りました(笑)。

 

 

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※戦争や原爆の話を書くと、中国と韓国で日本人が何をしたかとか、

パールハーバーがどうとか等、書いてくる荒しが必ず現れますが、

この部分の歴史や映画に関連のないコメントは削除させていただきます。

歴史をないがしろにする訳ではなく、この事案に無関係なので。

それは他のところでどうぞ。

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<参考資料>

*オッペンハイマーの人生略歴

https://www.ias.edu/oppenheimer-legacy

*2016年NHK番組「決断なき原爆投下 米大統領 71年目の真実」による
https://www.nhk.or.jp/special/detail/20160806.html

*1945年8月7日トルーマン大統領演説:広島への原爆投下報告
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001530015_00000

*オッペンハイマーのインタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=WQLtnBMOSe4&ab_channel=HISTORYCHANNEL

“We knew the world would not be the same. A few people laughed, a few people cried, most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita. Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty and to impress him takes on his multi-armed form and says, "Now, I am become Death, the destroyer of worlds." I suppose we all thought that one way or another.”

 

 

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<関連動画>