私は、8歳から10歳まで、2年と5ヵ月間、米・カリフォルニア州に住んでいました。

父が某航空会社系列のホテルに勤めていたため、転勤でサンフランシスコへ。

 

92~94年まで、本当にいい時代でした。

マイケルジョーダンが活躍し、NBAが一番面白い時期で、

MTVでは、マイケルジャクソンやマライアキャリーの歌が常に流れていて、

サンフランには日本人も多く、馴染みやすい地域でした。

 

<ゆきちゃんと。>

 

<一緒に縄跳びしてる亮子ちゃんは今も繋がっている仲良し。>

 

よく帰国子女?って聞かれるんですが、

子供の頃、海外に住んでいたのは、たった2年5ヵ月なので、

帰国子女とは言い難い気がしています。

 

帰国児童生徒」とは、海外勤務者等の子供で、引き続き1年を超える期間海外に在留し、当該年度の4月1日から3月31日に帰国した児童生徒をいう。
出典: 文部科学省 学校基本調査

 

えー?1年は帰国子女とは呼ばないんじゃ…。

私の中で「帰国子女」とは、3年以上海外に住んでいて、日本に帰ってからも、帰国子女枠の受験などで恩恵を得た人のことを指すんじゃないかと思っています。

 

(私は帰国後、中学受験まで2年半たっており、一か月足りなかったせいで、帰国子女枠は使えませんでした。こういう人は「隠れ帰国」と呼ばれます)

 

アメリカで身に着けた事といえば、

発音と単純なフレーズだけです。

 

8歳から10歳ですからね(笑)。

子供なんて、言葉が喋れなくても、

一緒に遊んでいれば勝手に友達が出来ていきますしね。

 

「一緒に遊ぼう。」

「次は私の番だよ」

「これ貸して」

「これが欲しい」

 

文法がどうなっているかも知らなかったし、

みんなが使うフレーズを覚えただけでした。

 

ちょうど「そろそろちゃんと文法を学ばせよう」と親が思い、

家庭教師をつけて1か月後、急に日本に帰ることになってしまいました。

出鼻挫かれがち人生(笑)。

 

10歳・小学校4年生で横浜に帰ってからは、

1年生までを過ごした、地元の市立小学校に戻り、

週に1度、鎌倉にある帰国子女専門の英会話スクールに通いました。

 

英会話スクール以外に、周りには帰国子女はいなかったので、

自然と英語を使う機会は無くなっていきました。

 

ただ、私はどうしてもアメリカに帰りたかったんです。

両親は理解してくれません。

このフェーズを過ぎれば落ち着くと思っていたのでしょう。

 

でもね。

日本の小学校ってなんかすごく不自然だったんです。

 

男の子の列と女の子の列は分かれてるし、全員が正面を向いて座ってて、

宿題は1週間分の予定が決まっていて、毎日すごい量が出るし、

休み時間は、男子はドッヂボールしてて、女子は縄跳びかゴム飛びしてて、

別々に遊んでいました。

 

私はドッヂボールがしたくて、男子に混ざってやってたら

結構強かったから「女戦士」とか呼ばれて、

そしたらだんだん女子に苛められるように。

 

女子はグループを作るのが好きで、どこかに属さないといけない。

私は誰とでも仲良くしたかったし、グループが嫌だったんです。

だから誰もグループを組みたがらない「いつも余る子」と一緒に組んだりして。

 

「英語喋れるからっていい気になってる」ってよく言われました。

なってないんだけど…喋れちゃうのは仕方ないし…。

 

アメリカに住んでいたころの友達と文通をしたりして、

自分の心を慰めていました。

 

そこからです。

「いつか絶対日本を出て、私はアメリカに帰るんだ」

と思って、英語を一生懸命勉強しました。

 

帰国子女の人やミックスの人って、海外から日本に引っ越してくると、

帰国後日本になじめなくて、うまくいかないことがよくあるようですね。

 

次の記事では、さらに難しかった中学生時代の「隠れ帰国生活」を。

 

本日も寒い方(北半球)も、暑い方(南半球)も、

貴重な時間を使って読んでくださってありがとうございました!

これを読んでいる帰国子女の方はいるでしょうか?皆さんの体験も聞いてみたいですね。

 

ではでは、また次回お会いしましょう!