再発入院してから、また治療が始まりました。
前回はAML12という臨床試験によるものを行い寛解しましたが、今回は寛解するかわからないというのは医師から聞いていました。
FLAG-IDA+GO
(グラン、フルダラ、キロサイド、イダマイシン、マイロターグ、髄注)を実施
マイロターグは確か10%前後ぐらいの人にしかきかないらしいです。
倦怠感、発熱、食欲不振がありましたがゲームはやっていました。
食欲はないけどボイルホタテや枝豆、いちご
プチトマト、チョコもちを食べれた。
この2回目の入院は1回目の入院で味覚障害で朝の給食のコッペパン以外はほとんど食べなくなりました。たまにヨーグルトはかろうじて食べた。
昼 ポテト、ナゲット(この病院の近辺は店がいっぱいあるので買い出しは毎日)バナナ
夜 赤飯、枝豆、プチトマト、ボイルホタテ
初回の入院治療の時より食欲がありホッとした気分にさせられましたが点滴につながれ
自由にできない、ヘモグロビン輸血時も気泡が入りピーピーなり響き、閉塞があったりで昼から20回もピーピーうるさく息子のストレスは増していました。
院内学級の先生二人とY医療の本校の先生がきてくれて学期の途中に春休みも近く転校になるので三年になってからお世話になることを話し合いました。再入院と同時に地元の学校にもまた事情を説明しに行き、生徒たちにはどういう説明をするか、まさか再発入院なんて言えないし、一先ず体調が悪く休んでいることにしました。もう少しで春休みに入りクラス替えもありますし。
ここで失敗したのは地元の先生たちに新学年のクラス名簿に名前を入れてもらうのを言わずにしてしまったことでした。
名前だけでも載せてもらえたはずなんですが
どういった経緯かテンバッテしまったのか
院内学級が新学年からのスタートになったからなのか息子の名前は載りませんでした。
息子には事情を話し、なんとか納得した様子だったので傷ついてないか心配もありました。思春期なのであまり顔にださなかったのかもしれません。
一週間の治療が終わり、翌日。
息子:朝から疲れたと、夜眠れなかったと言いました。
院内学級も午前中休み、午後の美術はやっていました。
夕方になり
息子:オレの病気って、これで治らなかった らどうすんの?
一生病院にいるの?
母 :色々な治療方法があるから大丈夫だよ
と、とっさに言いましたがそれ以上は思い浮かびませんでした。
息子を元気づけなければならないのに何からしたらいいのかわからない。
ただ、食べれるものを買ってきて興味があるものをネットで買ったり一緒にテレビをみたりすることぐらいしかできませんでした。
倦怠感や吐き気、ダルさ、目の痛み、気持ち悪さがててくるので話しても
うっとうしいがられて、居ないと居ないで
トイレに行くのに看護師さんを呼ぶのが面倒だというのでただ側にいて沈黙が続いた日々でした。
優しい愛嬌のあるベテラン看護師さんが次々に辞めてしまい途方にくれていましたが息子が仲良くしていただいていた何人かの看護師さんはいたので本当に安心しました。
この時に何人もの看護師さんから
看護師:お母さん、困っていることはありませんか?なんでも言って下さい
と聞いていただいていたんですが
聞かれるとなかなか答えられず
ただ、ただ息子の病気が治ってほしい気持ち
なんとか薬がきいて移植も成功して
元気になってほしい気持ちでいっぱいでした。
きっと看護師さんたちは優しさから声をかけてくれたんだけど毎朝きょうだいの弁当作り、朝から夜ご飯の準備、犬の世話、電車で往復三時間、医師からの説明や病院にきて息子の買い出しなどで話す気力がなかった感じではありました。
気にかけていただけるだけでうれしくおもいました。