学校に行き始め、建物が古いのもあるせいか
トイレが場所によって臭うといい、臭いが
入院してからか敏感になり少し離れた方のトイレは臭わないし大丈夫だと言っていたのでそっちに行くようにしていました。


退院してまもなく、車が故障し送り迎えは母も一緒にバスで通学することになりましたが朝の交通安全の旗降りのおばさんが帽子をかぶっている息子を見て驚いた様子でした。
きっと10キロぐらい痩せて帽子かぶっていたから気がついたんだと思います。
親子で車で通学するよりバスや歩きだと意外とチラチラと見る人がいたり知人に遭遇したりして視線を感じるものだなあと思ったりしました。

毎日バスとか歩き通学してるうちに体力がついてきたのか2時間授業から給食を食べてから帰るながれに変わり回復がはやく様子を見ながら体育もやるようになりました。体育は担任の先生だったので安心しました。
疲れがでると休んだりもしました。


勉強はわからないことだらけで焦っていましたが体を治してまずはできることからでいいからと言って無理はさせませんでした。



2ヶ月ぐらいたち部活を見に行くようになり
さすがにサッカー部は走りが中心だし厳しいと感じたのかバレーボールをやることに。
楽しくて新しい友達もできてうれしそうにしていました。



私も塾代だけでも稼ぎたいと思いハローワークに行き午前中だけの家から近くお昼までのパートに行き、それから学校へ迎えに行っても間に合うなあと思い始めました。



休みの日には子供センターに行き友達と卓球をしたりコンビニに行きiPad持ってゲームして唐揚げ棒を食べたりうれしそうにしている姿を見て、ずっとこういう普通の楽しい暮らしができますようにと心で祈っていました。


4ヶ月を過ぎたころ顔色が真っ白でまだ退院したのが夏で冬になり日焼けもひいたからだと思っていました。

お正月になり狭い家ですが義母、旦那さん
4兄弟ファミリー姪っこ甥っ子たちも遊びに来てくれました。病気の事は旦那が話さない方がいいと言っていたので話しませんでした。義父が癌で闘病の時にも大変だった義母も心配性で神経質ということもあり。


皆さんからお年玉もらってテンションがあがり絶好調でした。
夕方頃になり息子がみんな来ているのに寝てしまい、この時も顔色が白く心配でした。