芹沢光治良先生は、
人間の運命とか、
パリに死すを書かれた小説家です。昔、私が頼りきっていた霊能者につきはなされて、何を頼りに生きていけばよいかわからなかった時、それまで積ん読だった芹沢先生の
神の微笑を読みました
そこには、人間には内なる素晴らしいパワーがあるから、人を頼らず自分の直感で生きていきなさいと書いてあったのです
その本は、私の魂を揺さぶりました
自分に自信がなくて他力本願になっていた私は、その日から、宇宙の流れと一体となる生き方をすることを決意
人生が大きく変わりました
芹沢先生にお礼に行きたいと、知り合いに紹介され中野のお宅に伺いました
先生が、あなたはお水を貰いに来たのではないのですか?
お水?いえいえ、ただお礼がお伝えしたくて。。。先生は奇跡のお水を作り、無料で配っていたのでした。先生は赤いスカーフを首に巻いておられました。
今日は、親神さんから、素敵な人が来るからお洒落していなさいと言われたからですよ
とにっこり笑われ、恐縮しました
元々、小説家なのに、ある日、天理教の故中山みきという教祖からメッセージが降りるようになりました。その世界を信じていない先生は、いろいろ抵抗しましたが、結局、メッセージを伝えるために、神の微笑みシリーズを書き始めたのです。決して、天理教のことを伝えるためではなく、この世の中が大変だから、中山みきさんから、人々を救済するために書いてくれと頼まれたのでした。現に、私を含め、何人も先生の本で救われています
とんちゃんも、同席していましたが、庭師でいこうか、今後のことで迷っていましたが、先生は
決めないで、大自然にすべてお任せした方がいいよと。とんちゃんは、そう言われて気が楽になったそうです
先生は、お金が欲しかったら、大自然に、お金下さいと言えばいいんです。。。お金も必要ですからね。芹沢先生は、当時92才で、それから2ヶ月で他界されました
先生とは、一期一会、撮ったツーショットは貴重な財産です













元々、小説家なのに、ある日、天理教の故中山みきという教祖からメッセージが降りるようになりました。その世界を信じていない先生は、いろいろ抵抗しましたが、結局、メッセージを伝えるために、神の微笑みシリーズを書き始めたのです。決して、天理教のことを伝えるためではなく、この世の中が大変だから、中山みきさんから、人々を救済するために書いてくれと頼まれたのでした。現に、私を含め、何人も先生の本で救われています




