京都に住んでいた頃、バンド時代からずっと通っていた店がありました。白川通りに「ごはんと みそ汁」とだけ書いてある「高砂食堂」でした。店内はカウンターだけで30席。豚のネギ巻き定食や、ナスのはさみ揚げ定食などが絶品でした。ラーメン貧乏な私たちバンドマンにとって、こんなおいしい食事が800円以下で食べられるので、いつも利用していました。割り箸とんちゃんと結婚してからもよく食べに行っていました。ずっと値段も変わらなかったのです。おにぎりおじさんは、黙々と、こちらで魚を焼いて、あちらで味噌汁を盛り付けて。。。と一人で調理。おばさんは、「はい、ナスのはさみ揚げ、納豆、ご飯小の方。。」とうまい具合にお客さんのさばいていきます。リンゴある暑い夏の夜、店が満員で、おじさんはちょっとイライラして、入って来た客に「よそへ行ってくれんかメラメラ!」と言ってはならない言葉を投げつけ、一同凍りつきました。あせるしかし、その客は平然と待合の席に座ったのです。まるで「この店しか行きたくない!」と意志表示のように。星空ある夜、おじさんのお店に行ったら何と!閉まっているのです。叫び店は何か月も閉まったままでした。ショックを隠せない私は、おばさんがいたので「どうされたのですか?」と聞きました。「おじさんが、塩の味がわからない病気になってね。。店が出来ないの。」爆弾えーーーー!ショック!!!東京の撮影隊もおじさんの店を絶賛していました。彼らもきっとショックで倒れると思いました。それから私はおじさんにお手紙を書きました。「晴れおじさんのお店は本当においしいお店でした。私はおじさんのお店は日本一富士山だと思います。今まで取材でいろんなお店を紹介してくれと頼まれましたが、おじさんのお店だけは私の秘密の場所にしておきたかったんです。」お手紙とCDをポストい入れて何か月か経ったある日、おじさんからお手紙が来ました。「だまってうつむいて菜っ葉を刻むことしか出来ない私です。今まで、たくさんの人が来てくれたのは、うちの店が安いからだと思っていました。星あなたの手紙でそんなにも皆さんが私の店がおいしいから来てくれていたことを初めて知りました。馬あなたの手紙は私の一生の勲章です。塩の味がわからなくなってお店が続けられませんが、本当にありがとうございました。」とトツトツと綴られていました。虹高いお店でおいしいのは当たり前です。あの値段で最高の料理を出してくれたおじさんのいお店は日本一富士山、私はおじさんに五つ星を差し上げたいです。プレゼント