私はシンセサイザー奏者です。京都に30年住んでいました。
私たち夫婦の夢は海一望の音楽ホールを作ることでした。
資金はなかったのですが夢をイメージで描き続けてきました。15年前に観音修行をしなさいと言うリアルな夢を見て西国三十三ヶ所霊場巡りの札所一番の青岸渡寺に行きました。
その時に紀伊半島の海の美しさに感動し、ここに住みたいと強く念じました。
しかし、夢の意味は全国を音で行脚しなさいと言うことだったのです。あれから10万人とふれあうコンサートと称して海外国内で500ヶ所以上演奏し、素晴らしい出会いをたくさんさせて頂きました。
2000年にホールを作るため場所探しに出かけて三重県熊野市役所の方に案内して頂きましたが初めてと思えない懐かしい風景、
この世の中にこんな美しい場所があったのかと感動し、過疎高齢化の局地、陸の孤島と言われる熊野に2000年に引っ越してきました。
そして、永年使われていなかった建坪243坪の巨大な自動車部品工場を100名のボランティアと、大工さん、私たちで3ヶ月かけて改装し天女座が完成したのでした。続く