
きなこです

おはぎじゃなくてショックだった人が居るかも

ごめんなさい



今日はちょっと色々な感情が込み上げて、どうにもならず、久し振りにおはぎとも真剣に論議しました。
職場での出来事はプライバシーの問題もあって書くべきではないと思うのですが、少しだけ書いてみようと思います。
先日急変した肺癌の患者さん。
家族から愛されていた患者さん。
沢山の家族が駆けつけておられました。
とても呼吸は苦しそうで、見守る家族も目に沢山の涙を浮かべ、目を真っ赤にしながら声をかけられていました。
家族の1人が私に声をかけられて、
「すみません...何か言ってるんだけど、全くわからないんです。聞いてもらえませんか?」っと。
病室に入り、耳を傾けるけれど分からず...
「もう一度教えて。」
と声をかけると、声にならないようなこえで、力を振り絞り、
「もう終わりなのかな」「もう終わるのかな」
そうはっきり私には聞こえました。この言葉を家族にストレートに伝えていいものか...悩みましたが、患者さんの振り絞った声を届けないわけにはいかないと思い、ありのままを家族に伝えました。胸がギュッと締め付けられ、溢れる涙を堪えるので必死でした。
私は、「大丈夫だよ。」と何度も言って、強く握られる手を握り返しました。
手をしっかり握られた感覚が今もまだ残っています。
なんと声をかければ良かったのか....
振り返ってみてもよく分からないままです。
私の性格的にこの事はずっと忘れられません。
ずっとずっと考え続けると思います。
言葉の重み...
考え続けようと思います。
おはぎと話し合ったのは、痛みのコントロールについてでした。
その患者さんはおはぎと同じフェントステープを使用していました。
意識レベルが下がる中で、痛みを感じているのか正直わからない状況でしたが、痛みのコントロールをする医療用麻薬の種類が変更になりました。
持続して注入する注射薬になり、その薬を使用すると呼吸を抑制してしまう可能性がありました。
呼吸を抑制するという事は最期の時が早まる可能性もあります。
どうして変更する必要があるのか....
おはぎは、呼吸の苦しさは死を連想する。
おはぎ自身喘息の発作を起こした時に苦しさは、もうこのまま死ぬんじゃないかと、本当に苦しすぎて、辛く怖かったと....
生きるために呼吸はなくてはならないもので、その大切な事が出来ない苦しさは耐えられるものじゃない。
癌性の痛みの緩和と言うよりは呼吸苦の緩和も図る目的があったんじゃないかな?
納得出来る意見でした。
癌性の痛みはコントロールする事が難しいです。
ただ痛みはQOLを下げるし、痛みをコントロールはとても重要な治療です。
ただ強い薬を使えばいいのではない。
使えば使っただけ、また副作用に悩まされる事になる。またQOLは下がってしまう。
今までも沢山の後悔の経験があります。
難しいけれど、もっともっと専門的に勉強して、患者さんの笑顔のために全力を注いで介入出来る看護師になりたい。
新たな挑戦への始まりです。
おはぎから引き継いだ夢に向かって、私自身も人生の目標を達成できるように一歩踏み出そうと思います。