最近本当にゆるゆるに過ごしています
びっくりするぐらい何もしていない
2月に入ってから急激に方向転換の感覚が現れ始れ
あれもこれも!となっていたところから、すべて手放すようになりました
最初、頑張れなくなった自分に戸惑って
グルグルと迷宮入りしそうになっていたのですが
この何も掴まない感覚が私が立ちたかった場所か…と、腑に落ちました
そもそも、しなくてはならないことなんて何一つない
幸せには形が無くって、日々の気分を丁寧に味わっていくだけ
私はどこかで、脳内の情報の中にある幸せのカタチに執着して
そこを具現化しようとしていたのかもしれないと
自分の中の固定概念に気づけました
脳内にあるストーリーとの人生をすり合わせるのに必死になって
それと今の現状が違うから叶っていない
もっとこうしないといけない
って無意識になっていましたが
脳内にある答えやこうなってほしいという思いは願いのようで
私の中の執着になっていたものでした
ここの脳内のストーリー握り続けていると
そうなっていない現実とのズレをなぜかダメだと思考が言い始め
自分の中に焦りや不安を感じ出します
だからこそ、自分の中の幸せのカタチに囚われなくなった瞬間から
何かと比べて今がダメと自分の今を否定することが無くなっていきます
過去を手放すのは結構やってきたけど
ここからは未来への執着も手放して
よりフラットで軽い立ち位置に居続けるのが
丁寧にやっていくことだなと思いました
こうなったら素敵!
でも、こうならない未来もそれで本当の意味がある
一番味わいたいものだけに集中して、それ以外は手放す
最近実践してみたのが
買い物に出かけようとしたのですが
今までの私はその買い物の幸せルートを考え込んで、そうなるようにと行動して出かけていました
で、たまにリズムを崩して何か考えていたものと違うようになると
勝手に叶わなかったと無意識にジャッジを挟んでいたのですが
その日わたしが一番味わいたいことは何?と聞いて
それだけを叶える為に決めて出かけることにしました
「ちょっと運動不足だし、歩いてそこまで行きたいな」
ここだけに集中して、他はどんな流れになってもそれがOK!
と決めて出かけると
今までどんなに頭をくるくると動かして遊びにいっていたのか
客観的に見れるようになりました
一番いいのは何?と幸せの形を変に求めすぎて
時間やその瞬間の目の前の事を味わうより
行動して叶える事に意識が持っていかれていたのだと思います
で、その日は歩いて出かけて結局何も買わず
ただカフェに寄って特別な事が起きるようにと意識せずゆるゆると帰ってくると
一気に自分の中の固定概念と共にあった緊張感が緩んでいきました
「ただ気分良く散歩出来た、そんな事を幸せと言って味わっていい」
そもそも私は何かを変に追い求めなくっても幸せだし
今、この一日 一時間を穏やかに過ごせた事を
ありがたいなーと味わうだけで良かったんだ
未来へ意識がいきすぎていた時より
今の等身大の自分と繋がって私の中のちょうど良さみたいな自然体にハマったような感覚になりました
未来への希望は大切だけど、それに執着して必死になっていないか
私の中で一番味わいたいシンプルな感覚は何かな?
自分にとってとても大切な事を気づかせてくれる
一時停止からの執着を手放す気づきをもらった期間でした
未来へのカタチを手放す事で
自分の脳内ストーリーでは思いつかなったカタチが現れてくるのを
心の安心感と共に受け入れていく
変化していく事にはハートを開きつつ
何かが起きるようにと執着はしなくていい
そんな緩さや自分の中の充実感が土台にあった上で
これからどうなっていったら素敵かな?と望んでいく道なんだと思います
変な表現方法ですが、幸せの扱い慣れをしてから
幸せってものの固定概念に振り回されない自分が芯としてあって
その上で自然体で望んでいく感覚ですね
最後までお読み頂きありがとうございました