最近言語化出来ずに感じていたことがあったのですが

今日やっと腑に落ちた感覚になりました

 

 

 

どんな事かというと

 

出来る自分になって愛されるじゃなくて

 出来ない自分で愛される

 

 

私の中でハマった表現はこうでした

 

 

 

つい、自分の中で出来ない事が現れると

どう出来るようになろう?と思考で解決方法を考え出してしまいます

 

成長して克服する

そのストーリーを探そうとしがちです

 

 

でも本質での見え方は

 

今この瞬間例え出来なかったとして何が問題あるの?

そもそも出来る出来ないって何の基準?

 

と視点が切り替わりました

 

 

 

 

 

具体的に合った事なんですが

 

職場で私、電話対応が本当に苦手で(笑)

ちゃんとスマートに対応しなくちゃ とか

あの人みたいに出来るように頑張ろうって状態でした

 

気持ちは比較的前向きで

怖いけど頑張れば出来るようになるよね!って視点で

 

これが前向きな分ちょっとしたズレがわかりずらいポイントです

 

 

 

 

でも、今日急に私が対応しないといけない場面が急にやってきて

慌ててあんまり上手に出来なかった・・・と

少し落ち込んでいました

 

少し整理して、でもここから頑張ればいいよね

いつかちゃんと出来るようになるよって自分と話し合えたと思い

一旦落ち着いたのですが

 

少したってからちょっとモヤモヤしだしました

 

え、いい感じで落ち着いたよね?と思って

もう一度自分の感覚を感じ直してみると

 

 

 

あ・・・・前提が違っていた と

はたと気がつきました

 

 

また出来る自分を求めて

今この瞬間に存在している

電話対応が上手じゃない自分に丁寧に寄り添って無かった

 

 

その後にもう一度

今この瞬間の私のすべてが許されて愛されている

って感覚のところに戻ると

 

 

電話対応がそんなにスムーズじゃない私でも

受話器をとってもいいじゃんっていうのが私の答えでした

 

 

例えそれがちょっとグダグダでも

何かいい感じにしゃべれなくっても

変な敬語を使っても

 

何ひとつ問題じゃなかったんだ

 

 

 

だってこれが今の私だし

 

以上!!って感じでした(笑)

 

 

 

 

今の私は前より出来る事が増えたけど

これってすべて結果そうなったことだった

 

 

何一つ出来るようになろうってがんばったものってほとんどない

 

出来ない自分を丁寧に扱っていった結果

人の中で感じている感覚を言葉にする丁寧さが勝手に育ったし

自分の素敵だねって言ってもらえることが発掘されていったものでした

 

 

 

出来る自分がいい 正しいって感覚手放して

 

改めて自分に、どうしたいの?って聞いたら

 

 

 

「グダグダな電話対応して

それでいいじゃんって笑っていたい」

 

 

 

これが許される世界線で居たいなっていうのが私の望みです

 

 

 

 

 

気楽に電話に出て

何かよくわからない敬語を使い

でも結果なんとかなっていく

 

 

これを許した瞬間に

未来の出来るようになって許されるようになった私じゃなくって

 

今日明日に生きて存在してる等身大の私が

そのままでいいよ

 

 

 

肩の荷が下りた感覚でした

そうそう私は自分にこれだけ優しく居たい(笑)

 

 

 

 

 

あー、こんなことすら許されているんだなー

もしかしたら、何か変な人って思われるかもしれないけど

ちゃんと出来るようにって色んな事を頑張っていく私より

変な人を自由に楽しめる私がいいな

 

 

そうなると電話対応が下手な私ってものが今そのままでただ良かったんだ

そういう安心感と自分で許して愛されている

感覚に立ちなおせるようになりました

 

 

 

 

前提が変わると悩みそのものが変わる

それって本当に問題って握りしめていたのは自分だったんだな

 

 

 

 

「出来る自分になって愛されるじゃなくて

 出来ない自分で愛される」

 

 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました

 

 

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