今日も自分なりの幸せの固定概念について書いてみたいと思います

 

 

私は元々捻くれた人間だったので

一般的に幸せと言われるもの

 

 

お金がたくさんある お金持ち

 

結婚している 恋人がいる モテる人

 

周りから評価されている 人気者

 

運動神経がいい かっこいい人

 

色んな人を横目に 「別に本当の幸せって別にあるし!」 

みたいな自分の世界に引きこもっていました

なんだか強烈に意地をはっていたというか、心を閉ざしていました

 

 

 

 

この幸せの固定概念の中に

「楽しい」を羨ましがりつつも

自分の中でそれを否定して・・・更にいくつかの要因が組み合わさって

こんがらがっていたように思います

 

 

そんな生きにくさを感じていた中でとても大切にしてあげないといけないなと思ったことは

「楽しみたがってる自分」と「でも何かこれじゃない」と言っている

二つの自分をどちらの子からも深く寄り添っていったときに

とってもシンプルな私の「楽しい」があるんだなーって感覚でした

 

 

「楽しみたい」ここの本当に素直な声に気づいてあげるのに

少し時間がかかりました・・・

 

小学生のときに人が楽しんでいることを楽しめない自分は

ずっとこのまんまなんだろうと、冷めた感じになっていて

 

とっても本質的なところでは、ただ純粋に自分の「好きな事」をしっていたのですが

いつの間にか、周りにある競争や比べるエネルギーに抵抗することがやっとで

踏ん張り続けることに精一杯になっていたんだと思います

 

周りの楽しい 幸せってものの感覚を何か違う!って否定して

自分の感覚を守るのに必死だったというか・・・・

 

 

周りと比べるような、マウントの幸せ競争社会の空気から引っこ抜けたときに

周りが感じている幸せについて「何か違う」って言いたい子のさらに奥に

楽しい事大好き!」という、あまりにも素直な言葉が出て来たので

涙がポロポロとこぼれてきたのを覚えています

 

そりゃそうか・・・ 私だって楽しい事したい!って当たり前かー

ってびっくりしました(笑)

 

 

社会の幸せの固定概念や競争の空気にのまれて

私が楽しめるところなんてないんだ・・・って無意識にすっごく諦めていたんだなって気づきました

 

 

諦めに気づいて、ハッとしたときに改めて

 

「お金がたくさんある お金持ち

結婚している 恋人がいる モテる人

周りから評価されている 人気者

運動神経がいい かっこいい人」

 

ここを望んでいないなら、自分のとっても素直な楽しい!ってどんな感じ?

と目をしっかりと合わせて聞いてあげられるようになりました

 

 

楽しい事はすきだけど

楽しい事を必死に追いかけて生きていたいわけじゃない・・・

 

そんな奥の声がやっと整理されて自分が何で幸せを否定していたのかが紐解けていきました

 

 

自分の幸せ 楽しいを諦めていると

どんなに望みたくても、エネルギーの入り口が狭くなってしまっているんですよね

 

 

競争に疲れて一旦諦めたり閉ざしてしまった

自分の「私らしい幸せ

ここに真剣に聞き直してあげて

本質からの素直な楽しい事大好き!って子と共に

自分に「何をしたい? どんなことでもいいんだよー」って聞いてあげるのって

自分を生きていくのに大切なポイントだなって思いました

 

 

 

とってもシンプルで素直な自分の声は

出てきた瞬間に、思考の諦めすらもすり抜けていくような

カチッと芯がはまったような感覚がしたので

おもしろいなーって感じました

 

 

ひまわり最後までお読みいただきありがとうございましたひまわり