春だけれど雨の一日ですね
桜が散るだろうなって思いながら見ています
今日はお墓参りに行ってきます
何か自分の中でしっかりと整理したいとき
じっくりと自分と向き合いたいときに何だかピンときていく事が多々あります
一人で行くと道中が不思議な感覚で
とっても集中しやすいです
今回書きたいなと思ったことは自分の愛からの目線です
今まで、家族のことを考えているとき
友達や自分の事を考えているとき
常に何だかそこじゃない・・・って気持ちになっていました
立ち位置?というか視点が違うというか
そこじゃないって、どこなのかですが
本当に見たい視点や感じ方ではなく
とっても浅い一瞬の気分の良さ任せたような
生ぬるーいところでいつも考えているような感覚でした
何だかずっと過去の出来事にイライラしてみたり
気に入らないことがあると重箱の隅をつつくような
ネチネチとした気持ちで物事を考えてみたり
本当はそんなことをしたいのではないのに
癖のようにそこに戻ってしまう
そんなループをしていました
ここの生ぬるさの感覚ってエゴに浸かっている
ある意味心地よさなんですよね
実はエゴに浸かっているのって無意識のうちに
心地良さを覚えてしまほど中毒性があって
なかなか抜け出せません
まあいいっかー とか 曖昧に済ませてしまう癖が
生きているうちにだんだんと強くなって
それでいつの間にか本質のことが忘れ去られて行きます
でも、本質ではそんな事を言いたいのでは無くて
もっと気持ちが循環するような
とっても純粋性のある自分の声にすっごく繋がりたがっています
ここの目線って必ず皆持っているのですが
あまりにも不足の世界観に居過ぎて
自分にはないとか 特別なもののように見えてしまっています
ここから抜け出すためには
自己愛を増やしていく事かなって思いました
自分が自分に常にどうしたいの?と気にかけてあげて
人に埋めてもらうより自分が埋めた方が早いことに気づき
感情が微妙な方に動いたら何でだったのかと
聞いていってあげて
気持ちのもう一歩奥に繋がってあげる事によって
だんだんと寄り添ってもらうことによる充実感や
自分らしさを生きている感じで変化していきました
自分がもうエゴの世界で思考を動かすのを止めたがっているかどうか
胸に手を当てて内側の子に聞いてあげる事によって
どう言葉返ってくるのか
じっくり向き合ってみると
自分の真実の声が聞こえてくるのかなって思います
エゴの沼から抜け出すのに
自分が真実の愛情の目線に戻りたがっているかの確認と
だからこそ沼から抜け出したい!っていう
腹を括っているというか芯がある感覚が大切で
でも、無理やり腹を括るなんてことは
全然楽しくないし 自分らしさが出てこないと思うので
自分の中の真実の愛の角度探しってとんでもなく重要でした
この地球でどうありたいのか
どんな人に囲まれていたいのか
大切な人たちをどんな風に見守っていたいのか
色んな角度から探していって
私この生き方しにきた!!って奥から大声で言いたくなるような角度を
見つけると勝手にこうしては居れんぞって
腹を括りだします
私の場合は家族との事が一番ぴったり来ました
今まではなんとなくダレた関係で
このままズルズルとお互い何かしらの思いを抱えたまんま
生きていくのかと思っていたのですが
こんなに好きなのにそんなことある!?と自分の愛情に火が付き始めました
無理やり事を動かしたいとか
私が守らなければっていうそんな感覚ではなく
相手を本気で信頼し続け
何かすっごく奥からピンときたことは
自分がワクワクするから動いてみる
そんな感じで
どれだけ微妙だなって思う出来事が起きたとしても
感情は出てきますが
自分が戻る立ち位置は
相手を信頼して相手の本質を見続けることです
自分の戻る立ち位置が鮮明になればなるほど
他の家族以外の事も上手く行きだしますし
何か現実的な物事が起きても
エゴのネチネチした方に巻き込まれず
どこで世界を見たかったの?って聞いてあげられるようになりました
個人的には真実の愛の目線って言葉がフィットしますが
結局は本質の自分の立ち位置を思い出してあげる事かなって思います
立ち位置がわかると
常に変える場所があるんだなって自分の中で安心感があるのと
思考でグルグルしそうなときに
ハッと突破口が表れるような感覚で
世界への見え方がとっても変わっていきました
自分の立ち位置が分からないときは
ずっと迷子の様で常に不安でソワソワ生きていましたが
地球にこれしに産まれてきたなーって
感じて生きているのって思ってたよりめっちゃおもしろいなって感覚です(笑)
ー今日の個人的平和の視点でしたー
また気づいたことやピンときたことがあれば皆さんと共有できたら嬉しいです
ありがとうございました