過去のある期間に
自分で勝手に呼んでいるんですけど
思考を抜けた視点ってところにいました
どんな視点かというと
ストーリーや思考に巻き込まれず
本当の起きている物事に対して
何も起きていない ここの大騒ぎしていたのは
すべて思考であり
本質ではなにも起こっていない・・・
ネガティブな感情が上がってきても
ただ流して見守っている
そのネガティブな感情の子と自分は同一の存在ではない
私はこの眺めている側の意識で
この自我そのものではない
みたいな感じのところに浸かっていました
当時気持ちがすっごくしんどかったので
個人的にはめちゃくちゃ楽になりましたし
やっと思考グルグルから抜け出せたー!!って気持ちで
その視点にいました
ここで気持ちに眺めている側として寄り添ってあげることによって
色んなものが緩んでいきますし
徐々に怖いと思っていたものが
やってみるとそうでもないんだなとか
自分が色んなことで傷ついてどうしようもないから
すべて一から癒していかないと何も出来ない人間だって
絶望していたのが
そのそも自分の本体はこの傷ついたもの達ではないのだから
ここに囚われなくていいのかと
すっごい起きた出来事から引きまくった感覚でいました
ここの心地よさって 無 っていう
一定の ツーーーーー みたいな
本当に一定って感覚の場所だなって
私自身は感じました
でも、ここの心地よさは本当にすごくて
本当に現実に巻き込まれなくて
ここを知っていることによって
見える景色がかわったかのような感覚でした
でも、あるときに この一歩世界から身を引いた感覚に居続けて
母に言われたことでハッとなったのが
地球っていう折角物質の世界に産まれてきたのに?と何度も問いかけられました
最初はここが個人的には居心地が良かったので
何でそんなことをいうのかなって聞き流していたのが
何度もその話をしていくうちに
自分ってこの地球でしか出来ないことをやりにきたのに?と
なにか自分の中でやりたいことがあったのでは?と感じていくようになりました
その抜けた視点の安心感から出るのはほんとに嫌で
重い腰をなかなか上げれなかったのですが
自分の中で20代でやりたい事 30代でやりたいこと
ってきっとたくさんあるんだろうなって思い
抜けた視点は自分の見える世界のベースとして
じゃあ、このとってもフラットな世界で
ワクワク自分らしく生きていこう って感覚に変化していきました
そもそも何もないって感覚のところで
思考や物事に巻き込まれない安心感を感じていて
そこがすべてだと思っていたんですが
色んな視点の地球での楽しみ方があるんだなって
ちゃんと視野が広がりました
どんなところにも素敵な気づきがあって
その中から今世自分がやりたい事
気持ちにしっかりと焦点を当て続けて
自分自身が選んでいくことによって
自分の中の感覚から選んでいくっていう
本当の自由の選択肢がみえてくるんだなって感じました
生き方に正解は本当にないからこそ
色んな視点に触れて
そこの本質をとらえた上で
自分に合うかどうかを見極めていく事が
自分らしい生き方により近づいていくのかなって思います
私自身にとっては
思考にとらわれず 引いた感覚で物事を感じる感覚にいて
そこで色んなことをから一歩引いて過ごしていましたが
集合意識のこうでなければって感覚から
一歩抜け出したからこそ
じゃあ、これから自分で好みの世界観でこの自我を使って
たくさん楽しく生きていっていいんだな!って
移行できたのはこれから先自分らしく生きるには
とっても大切なポイントだったなって思います
また気づいたことやピンときたことがあれば皆さんと共有できたら嬉しいです
ありがとうございました